Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

軍官学校卒業後蔡鍔将軍の旅団に転任 『偉大なる道』第2巻④ー1

 そのつぎに、生涯の回想のつづきを語りにきたとき、朱将軍の口からもれたものは挫折と危難の物語であった。1911年7月には、彼は軍官学校を卒業して少尉になったが、そのころには、帝政派は若い士官たちを恐れていて、彼らには軍隊の指揮はとらせず、ただ「見習い」として新軍の中にばらまくか、高級軍人の雑用係にした。朱も、しばらくはある中隊長の副官をさせられ、私用のためにこき使われて、隊長の注文どおりに買い物にいったり、茶をたてて給仕したりした。しかし、数週間後には蔡鍔(さいがく)将軍の旅団に転任になり、中隊の給与係の任務につくことになったが、直接兵士と接することができるようになったので、これはとくに歓迎すべき仕事であった。

 

 10月10日の武漢の蜂起の知らせが雲南に達するやいなや、総督は新軍の秋期演習の中止を命じ、すべての弾薬を没収し、四川人連隊の隊長羅偑金を省の辺境に追放した。旧軍の諸部隊が首都にうつってきて、新式の銃器と弾薬を給与された。総督のガ門(政庁)のまわりには、早急に防塞がきずかれ、2つの機関銃中隊が入ったが、その1つの隊長は秘密の共和党員のリ・フェン・ロー大尉だったので、ただちに同盟会にむかって、総督が革命派の疑いがあるものをすべて殺そうと計画していると警告した。

 

 「総督は、われわれを袋のねずみにしたと思った」と朱将軍はいった。ところが、秘密の共和党員だった軍官学校長と、総督に立憲帝政派として信任されていた蔡鍔が、総督にむかって、数人の共和派の処刑が武昌反乱を早めた、といいながら、性急な行動をとらないようにと注意した。それから、新軍にも平常通り弾薬を支給し、政府は弱体でこわがっているという印象をあたえないためにも、例年の秋期演習を施行すべきだと忠告した。