Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

雲南共和政権樹立 『偉大なる道』第2巻④ー5

 夜が明けてみれば、中隊をひきいた朱は、反革命派の最後の拠点であった総督ガ門のまわりの防塞の前に布陣していた。守備隊の機関銃中隊のひとつの指揮官リ・フェン・ローは、部下が戦うことを禁じた。朱徳の中隊は、ガ門をめぐる塁壁を他の一隊とともに最初に乗りこえたが、こえるやいなや、味方の砲兵隊が政庁に向かって砲撃をはじめて、全部隊は危険にさらされた。発砲中止の命が出てはじめて、門を開くことができた。

 

 それからあとは、戦闘はほとんどなかった。革命軍の仕事の主なものは、区画内のあちこちに隠れひそむ旧式軍の兵士をひきずり出すことだった。官邸の中では、寝台の下に総督が「頭から足まで苦力のいでたち」をしてかくれているのを発見された。革命軍が彼の弁髪をつかんで引きずり出し、それからその弁髪を刀で切りおとし、蔡鍔の指揮所にはこびこむと、彼はおのれが信頼した士官のひとりの顔を見ながら、よろめき倒れてしまった。

 

 帝政派の士官と官吏の多くは狩りたてられて銃殺されたが、のちに総督は北京に去ることをゆるされた。そのときの体験と恐怖は、のちのちまで強く記憶に残ったので、6年後に彼は北京の軍閥政府の要職につくことを辞退した。

 

 雲南の他の地方でも、新軍は10月30日にたちあがり、数日で全省は満州政権をくつがえした。革命軍の損害は、約40人の戦死と100人の負傷にすぎなかった。

 

 「王朝はまったく腐敗していたから、一吹きすると崩れてしまった」と朱将軍はいった。

 

 10月31日の午後、蔡鍔と他の指導者たちは、市民と兵士の大集会にむかって演説をし、蔡は雲南共和政権の軍政長官に推された。朱徳と彼の中隊は市内の各街路を巡察しながら、「反動派に警戒し、革命派を防衛した」その行進中、彼らは古民謡をうたい、即興で新しい歌詞をつくった。たとえば、何世代もの人びとが9月9日にうたった菊の古歌である災厄除けの歌を、新しい歌詞に替えてうたった。その後の、長い歳月にわたって、朱徳の部隊はつねにその勝利の歌をうたうことになった。