Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

四川への遠征 『偉大なる道』第2巻④ー6

 雲南革命派は喜びにひたっている暇はなかった。蜂起の数週間前に、指導者たちは、四川に遠征軍をおくって、まだ満州政権を打倒できないでいる革命軍を助ける計画を立てていた。軍官学校の候補生のうち、他の省からきていたものは、前々からそれぞれ出身の省にひそかに送られて、革命に参加していた。四川省出身のものたちも、成都重慶の同盟会指導者に連絡し、遠征軍の計画があることを伝えるようにという命令をうけて出発した。雲南軍が南四川の宜賓市に到着すれば、成都重慶の民衆はたちあがって、すでに反乱をおこした他省と同様に革命軍事政府を樹立するということになった。

 

 蔡鍔将軍は、その蜂起の直後、四川省人連隊の二個大隊をふくめた八個大隊をみずからひきいて、古くからの交易路を四川に向かって進んだ。朱徳は、すでに大尉に任命されていて、この遠征に加わり、中隊を指揮していた。遠征軍は小さかったが、四川の大勢を動かすには十分と考えられた。

 

 3週間後に宜賓の城外で、軍ははじめて敵の二個大隊と接触した。敵は、例のものすごい叫喚の声をあげ、古臭い口装銃で一斉射撃をした……朱将軍は、あれをちらっと思い出すだけで腹が立ってくる、というのは、それは旧中国の封建的後進性と無能の縮図であり、「からのひょうたんの中の豆粒」のようにがらがら鳴っていたにすぎなかったからだった。

 

 一歩もたじろがず、雲南革命軍は前進をつづけ、一小隊は模範的ライフル銃で応射した。敵の部隊は算をみだして四方に逃げちり、多くは「山にもぐりこんで、かねてから連絡をとっていた匪賊と合体した」宜賓は、旗を立て、歓呼して革命軍をむかえ、共和派軍政府が、商人たちと、市にわずかいた同盟会の知識人たちと雲南軍の代表で組織された。