Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

孫逸仙、臨時大総統就任 『偉大なる道』第2巻④ー8

 その時期に起こった事態が、彼の心に深い印象をきざみつけ、その後の彼の思想を形成する力になった。それを彼は次のように説明した。

 

 1911年12月、共和派の各省代表者会議が南京でひらかれ、孫逸仙博士が最初の共和国臨時大総統に選ばれた。委員会がつくられて、民主的な憲法を起草したが、それは中国の歴史上はじめて民衆に民権をみとめるものだった。そのときには孫博士は国外にいて、ワシントン、ロンドン、パリのあいだをかけめぐって、はかない努力をしながら、当時北京政権を完全に握っていた袁世凱に、国際借款団が与えようとしていた幣制借款をくい止めようとしていた。孫博士は、この借款が、中国の主権をこれ以上侵害しない条件で、新共和国の方に与えられることもできると希望をもっていた。しかし、外国政府と借款団は彼にむかって、われわれは「承認された政府」のみを相手にするといったが、それはこの場合、北京を意味した。それでもまだ、それら西方の民主主義国の政府は、多くの点で彼らの道を見習おうとしている新共和中国を歓迎するだろうと信じながら、孫博士はいそいで帰途につき、1911年12月の末に帰国し、数日後には中国の最初の臨時大総統に就任する宣誓をした。

 

 孫博士は、はじめ国外で、のちに中国でも発表した文章で、中国再建の希望をのべた。新中国は立憲共和制をとるが、資本主義はみとめるべきではない、というのは、それは満州朝よりも「百倍恐ろしい専制」を招来するので、「われらがそれから解放されるには、流血の河を見なければならないだろう」さらに彼は、アメリカ、イギリス、フランスでは「富者と貧者のへだたりは、あまりにも大きく」わが中国も「社会改革をしなければ、人民はよろこびと幸福を永遠に奪われれるだろう」といましめていった。