Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

列強と国際借款団による干渉 『偉大なる道』第2巻④ー9

 孫逸仙の南京の同志たちは、そのような意図に賛同しなかったばかりか、多くは外国帝国主義者たちのまねすらして、彼を「非現実的な夢想家」と呼んだ。このような立場から、彼らは、新たな「善後借款」について、また共和国政権自身についての無惨な妥協すら主張するにいたった。列強と国際借款団は、共和国を承認してもいいようなことを口にしたが、それには、孫博士が辞任して、彼らの好む「強い男」で「自由主義の大政治家、中国を統一安定する力をもつ唯一の人」と彼らが呼ぶ袁世凱にゆずるという条件がついていた。

 

 当時のアメリカ公使は、何度もワシントンに打電して、善後借款を即刻袁世凱にあたえなければ、帝制は崩壊するだろうと強調した。しかし、もし袁にあたえられるならば、「反徒もやむをえず条理にしたがうだろうが」もしこれを怠る場合には、外国の軍事的干渉が「必要」となるだろう。

 

 朱将軍は、何度もくりかえして、在中国アメリカ公使こそ、1911年革命に対しての外国の軍事干渉を要求した筆頭のひとりだったといった。中国がその悲劇からまぬがれたのは、列強が中国の独立と保全を尊重したからではなく、ヨーロッパの諸列強がアフリカの植民地について争い、戦争の危険すらあったからだ。アメリカと日本だけが中国に干渉することができたが、イギリスその他の帝国主義者がそれを好まなかった。

 

 しかし、西洋列強と銀行家は、それに劣らず残酷な手段をとり、新共和国はその罠にかかった。孫博士は、外国の強要によって総統の地位を、袁世凱将軍のために辞した。この政変にそなえて、袁の方では、少年皇帝を廃止する命を出した。その廃止令は、袁世凱は共和政体を組織する権限をあたえられるといっていた。これは明らかに、中国人民ではなく王朝が主権の源であるということを意味していたが、共和派はその侮辱をのみこんだ。

 

 孫博士は総統を辞したが、袁を総統にしておいた方が操縦しやすい、と信じたからであり、また平和を好んだからだ。彼は、まさか袁も、借款団が命ずるような条件で善後借款を引受けはしないだろう、とも信じていた。