Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

昇進と受勲 『偉大なる道』第3巻①ー1

 困憊(こんぱい)し混乱したひとつの軍が、1912年3月四川を去って、雲南の本拠地に帰るために南に向かっていた。その道を、4ヵ月前は途方もなく大きな希望をいだいて歩いてきたものだった。

 

 雲南軍の四川人部隊中の二個大隊は、四川にとどまることになった。雲南は中国でももっとも貧しい省のひとつだったので、もし蔡鍔(さいがく)たち共和派指導者が計画する近代化を完遂しようとするならば、まず口を減らさないといけなかった。

 

 朱徳と同志たちは、むっつりとして、古い交易路に重い足を引きずった。10月のころには、山を動かし河の流れを変えることができると信じていたけれど、いまは退却しているのだと認めないわけにはゆかなかった。常に楽天的な朱は、自らの気力をふるい起こそうとして、帝政派といえども今となっては共和国にそむきはしないだろうし、雲南は、指導者の計画どおり、模範省となるだろうなどと論じた。

 

 雲南に帰り、5月になると、軍の式典があったおりに、少佐に昇進したが、さらに彼が心から感動したことは、蔡鍔将軍が彼をえらび出して、「四川擁護」と「光復」の2つの勲章を受けるものの仲間に入れたことだった。「光復」は満州朝を廃して漢族が復興したことを意味する。ふたりのあいだに以前から結ばれていた暗黙の友情は、いまも絶えることなくつづいており、蔡将軍はときどき、わざわざ朱に声をかけて、彼自身のことだけではなく、家族のこともたずねたりした。朱は、ふたたび故郷の家族からたよりをもらい、俸給の大部分を仕送りしていた。

 

 「顔色がお悪いです」と朱は蔡にいった。「みなが、閣下の健康を心配しております」蔡はそれにこたえて、ちらりとふしぎな微笑をしたが、そのとき、何かはるかなものに思いをはせているようでだった。

 

 蔡は、軍隊にむかって演説をして、雲南省の実態について報告し「各人は満州朝を倒したときよりも、はるかに大きな犠牲をはらう必要がある」といった。軍の俸給は2ヵ月もおくれていて、財政の大緊縮をおこなう必要にせまられていた。負傷兵や戦死者の遺族には、終身の恩給を出さなければならない。老兵は引退しつつあり、若い兵といえども、離隊したいものは許可しなければならない。今後は、いかなる士官も官吏も、自己と家族を養うための給与以上を受けることはできない。