Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

袁世凱による共和派へのテロ 『偉大なる道』第3巻①ー3

 軍官学校が再開されると、彼は、諸省からの多数の候補生と親しく交わることになったが、彼らの多くは、前年の革命に参加するために学校を去って出身省に帰っていた青年たちだった。あるものは遠く上海や広東まで帰っていた。学業を修了するために学校に戻ってきたのだが、彼らは、朱徳と彼の仲間たちよりもはるかに経験に富み、大人びてもいた。何人かの教官同様に、他省からの候補生は、すでに袁世凱が共和派に対してテロを開始していたので、亡命者だった。雲南は、共和派が実権を握っている数少ない省のひとつだったので、亡命者でいっぱいになっていた。

 

 「その連中が、教師や役人や士官になり、あらたにわれわれが雲南府で出した新聞でもはたらいたりして、雲南の生活を充実させた」と朱将軍はいった。「私は、ひまなときには、たいてい、その亡命者の候補生や教官たちの話、たとえば、袁世凱にやとわれた手先どもが、共和派を逮捕し、投獄し虐殺する話に耳をかたむけた」

 

 国事として重要な問題は、国際借款団が袁世凱と交渉しつつあった善後借款のことだった。その条件は中国にとっておそるべき危険がはらんでいたので、すべての国民がこれを非難した。孫逸仙博士は、外国の銀行家に警告して、もし彼らが押しつける条件で取り決められるならば、中国の国民はその善後借款を無視するだろう、といった。袁の、反対派への答えは、逮捕、投獄、虐殺であり、またあらゆる役職から共和派を追放することだった。そして、ただ彼に忠実なものだけを役人とした。

 

 雲南軍官学校の教官になった亡命者のなかに、フランスに留学したことのあるものが数人いた。朱は、中国では革命が失敗したと見えることもあって、フランス人はどうして大革命を成しとげたのか学びたかったので、その連中に、何時間もつづけてフランスの議会制度について質問したりした。