Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

蔡鍔の再起と護国軍 『偉大なる道』第3巻①ー10

 「死にかけてはいたが、精神は昔ながらに剣のようにするどくはたらいた。われわれがすわると、彼は全国各地での蜂起計画について説明したが、雲南は、他の諸省で共和派の軍が組織されるまでの重荷をになう必要があるとつけ加えた。3日後には、袁の最強の軍の何部隊かがいる四川に進撃する計画だった。彼はまた、ほかの部隊も周辺の省から四川に移動してきているにちがいないといい、今度は1911年の戦闘とはまるでわけがちがうだろうとわれわれに警告した。四川は北方軍でいっぱいになり、それは袁が列強から取りつづけている借款によって、手厚く武装され、高い給与を受けていた。清朝軍をけちらかしたような具合に、袁軍をやっつけることはできない。袁は、南四川だけに4旅団もおき、腹心の手下のひとりに指揮させていて、さらに友人である、張り切り屋の小軍閥の曹錕(そうこん)が、成都の司令官としてひかえていた。この小悪党の曹錕は、1923年に大総統に選挙してもらうために、議員のひとりひとりに5千元ずつわたしたので、われわれは後に『賄選大総統』と呼ぶことになった。

 

 「わが軍の第二師団は、ただちに貴州省に入って同地の袁軍を掃討し、つづいて広西に向かい、さらに海岸の広東に進むと蔡はいった。第一師団は、他の何部隊かをしたがえて四川に遠征し、さらに何部隊かの援軍が訓練が完了次第送られるだろう。

 

 「蔡は、みずから四川遠征軍の指揮をとり、さらに、他の南部三省の共和軍の最高指揮官も兼ねるということになっていた。雲南軍は、共和国の防衛の軍という意味の護国軍と改名された」

蔡が述べおわったとき、朱大佐が口をひらいていった。

 

 「しかし、あなたはこの遠征は無理です。あなたは病人です。命がなくなります」蔡は朱を見つめ、それからはるか遠くを見るような目をした。「ほかにやり方はない。いずれにしても、自分の余命はいくばくもない。自分はわが命を共和国にささげる」