Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

袁世凱の死 『偉大なる道』第3巻①ー15

 「6月までに、われわれは四川の袁軍を撃破してしまい、中国全土は反抗して立ち上がった。6月6日のことだが、孫炳文と私が納渓の司令部ではたらいていたときに、袁世凱が北京でたった今死んだという電報が入った。私は何人もの部下を外に送って、その知らせを世間にひろめた。袁が死ぬ日まで幽閉されていた黎元洪が新たに大総統になり、南京の馮国璋が副総統になった。

日本帝国主義の手下の段祺瑞は、強力な軍隊をにぎっていて、総理の地位にとどまった。袁はいなくなったが、政権はやはり軍国主義帝国主義の妥協の産物だった。名前だけの共和国だった」

 

 イギリス系の『ノース・チャイナ・ヘラルド』紙の追悼文は、中国人も外国人も「偉人」の死を悲しむだろうと希望をのべ、さらにいった。

 

 「……袁世凱の死を、すべての外国人は、とくに英国民は、深く悼むだろう。……偉大なる人が去った……彼はいくつかの過失をおかしたかも知れない……しかし、それは雄大な性格をもつ過失であった……もし、政治の手綱を、孫逸仙の弱々しい手から落ちたときに、彼が救いあげなかったならば、ここ5年間の中国の歴史はまったく異なったものとなっていただろう」


 このおどろくべき論旨を思いおこすと、朱徳将軍の顔面は蒼白になった。彼によれば、袁世凱は外国帝国主義の道具にほかならず、自己を帝国主義に売りわたしてしまった男だった。同様に、彼の跡つぎの段祺瑞も「日本帝国主義の走狗」だった。