Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

チェン・ユ・チェンと再婚 『偉大なる道』第3巻②ー5

 朱徳の最大の個人的問題は、母のない子どものことだった。彼の夫人は、ほんのしばらく前に亡くなったばかりだが、その時代では、夫が妻の死後早々に再婚することは、少しもおかしいことではなかった。個人ではなく家が、そのころもなお中国社会の基礎であり、朱はおのれを新しい人間と思っていたが、さまざまな点では、結局旧い社会制度の子だった。個人としての愛情は、のちのちには発展を見るだろうが、当時ではまだ、結婚の基礎にはなっていなかった。彼は子どものための母を、家のための妻を必要とした。

 

 それで、年も暮れないうちに、再婚のすすめをききいれた。今度も、仲介をしたのは軍隊内の友人だった。この結婚もまた、当時とすれば新しいものだった。その友人の、教育を受けているという妹は、「自然な足」をもっていて、1911年と1916年の革命に参加し、いかなる求婚者に対しても、まず会って話をしなければ結婚を決めることはできない、といっていた。

 

 だから、ふたりの士官は、濾州の西方の南渓市に向かって馬を走らせたのだが、その途上、朱の友人は、重ねて、妹のチェン・ユ・チェンは非常に聡明であるといったが、同時にこの上なく「わがまま」でもあるといった。つまり彼女は、家ですすめたあらゆる縁談をことわっているうちに、21歳という、ほとんど老嬢というべき年齢になっていたのだ。


 朱将軍が、まもなく彼の妻となったこの女性について語るとき、彼は自分ではすこしも気づいていないようだったが、声と態度にはとても大きな変化があった。「愛」という言葉は、一度も彼の口からもれなかったが、彼は、チェン・ユ・チェンをはじめて見たときから愛したということは明らかだった。

 

 彼がいうには、彼女は美人ではないが、器量が悪いということではなく、何か言いあらわしがたい魅力があった。彼女のことを説明しようと努力しながら顔にしわをよせたとき、彼の声には優しさが忍びいり、尊敬のひびきすらまじった。