Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

四川省での軍閥の興亡 『偉大なる道』第3巻③ー4

 雲南護軍は、旧同志からの最後の通告にはしたがわないで、成都に向かって進撃し、標本Xと彼の盟友劉湘を省外に追いはらった。彼らは北方の陝西省にのがれて、新軍を徴発訓練して、北京から金をもらい、やがて四川になだれこんできたので、ここに清朝派打倒以来もっとも長くて血なまぐさい戦いがおこった。

 

 1920年の末には、護軍は四川南部に追いもどされていたが、はじめの4万の兵のうち、半分が残っていただけだった。朱徳の旅団も、たかだか1個隊の力があるかないかにおとろえていた。

 

 しかし、標本X自身も、この闘争では大損害を受けて、きわめて弱くなったので、彼の忠実な盟友劉湘は、あっさりと彼を追い出して、自分が省の支配者としての権力をにぎったが、彼はその地位をその後の20年間、盛衰はあったが保持した。

 

 この闘争の間に、護軍の指揮者のひとりであり朱徳の長年の友であった楊森も、軍閥熱にかかってしまった。彼は、東部四川に独立軍閥として名乗りをあげ、重慶を首都とした。劉湘と楊森は省を分け合ったことになるが、大きな配当は劉のものだった。

 

 朱徳が、この次に標本Xの名を聞くまでには、6,7年の歳月が流れたが、そのときには、この零落した紳士は、華南の地で、孫逸仙博士が新たに樹立した国民党政権をくつがえそうという陰謀をたくらんで、みごと逮捕されてしまった。しかし、彼の地下迷宮にはまだ出口があった。1927年以後、蒋介石が南京で独裁者として立つと、標本Xはあらわれ、将軍のひとりとなったが、彼のかつての幕僚張群も、対日戦争直前の蒋介石政府の外交部長となり、その地位は、朱徳が私に物語った1937年の時までつづいていた。しかし、その後まもなく、悪名高き親日政策のため、世論に追われて辞職した。そして、ほぼそのころに張群と標本Xは、いわゆる「政学」系の仲間に入ったが、それは、袁世凱時代に北京で組織された職業政治家と軍人の党だった。