Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

大家族を扶養する孝行息子 『偉大なる道』第3巻③ー6

 時ははやく流れたが、彼らは議論するだけで、何もしなかった。何年かたって1920年という血なまぐさい内乱の年がきたが、彼らは議論ばかりしていた。朱将軍は、いまや家族をおのれの逡巡の口実としていた。彼は1919年の秋に、一族のもの20数人を濾州によびよせて、朱徳たち夫婦といっしょに住まわせていた。彼は、孝行息子であることを証明し、実際、大家族を扶養する能力があることをしめして体面を保つことによって、封建主義に逆もどりしつつあった。

 

 彼の養父母は、祖父母が眠る大湾の地にとどまったが、実父母は、朱徳の兄タイ・リーと彼の家族といっしょに濾州にやってきて、さらに朱の二人の弟と彼らの妻子、それから未婚の弟一人も濾州にきた。

 

 准将としての月給は、千元よりも少ないことはなく、それに慣習として、半額以上の加俸がついていた。倹約してくらして貯金をしながら、家まで買って家族を養うことが楽にできた。

 

 最後に家族と別れてから10年がすぎていたので、70才に近づいていた両親が老いてほのかに白髪になっているのを見てひどく驚いた。「もうこれで、安楽な余生を幸せにおくれます」と彼は約束した。彼は全家族のために案をたてた。学齢の子どもたちは、未婚の末弟もふくめてみな、新式の学校にゆくことになり、タイ・リーは、長兄として家にいて家事の采配をふるうことになった。結婚していた二人の弟は、旅団の軍人訓練学校に入って、士官の訓練を受け、その後それぞれ栄達の道をひらきすすむことになるだろう。