Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

同居する家族のとまどい 『偉大なる道』第3巻③ー7

 彼は一方では、護軍のことを、孫逸仙の、合憲的ながら無力の共和制になおも忠実なる軍隊と語りながら、その旅団に自分の肉親を送りこんだのだから、いささか軍閥めいたことをやっていたといえるだろう。

 

 家族のものは、朱徳の権勢と地位にすっかり恐れをなしてしまって、彼のいい出すことに対しては一言もいい返す勇気がなかった。老いた両親は、彼がふたりの弟を軍事訓練学校に入れたときも、むっつりとして何もいわなかった。両親は、彼がいつも士官や役人にとりかこまれているのを見て、彼らの息子が、研究会で、むずかしいことをよどみなく談論するのをききながら、おずおずとして、あっけにとられ、黙然とすわりこんでいた。

 

 彼は、万事がみごとに運んだと思っていた。しかし、何週間かすぎると、両親は、かなしげな亡霊のように家のまわりをうろつきはじめた。彼らは、生涯はたらきつづけてきたので、怠惰な生活をおくるすべを知らなかった。彼らは、教育を受けた嫁の前ではびくびくして小さくなっていた。また、50万の人口をもつ巨大な雑踏と喧騒の市街は、彼らの心の平静をかき乱した。作物とか、界隈の嫁取りや人の死や醜聞とかでしゃべり合うとなり近所の人びともいなかった。朱は、ゆっくりと暮らしを楽しんでくれることを切望したのだが、彼らは「いま食べている御馳走は、ずっと食べてきたまずいものほど身体のためによくはない」というのであった。

 

 1919年の暮れには、朱徳の旅団は、東四川の地方軍閥とのあいだで、短期間ではあったが激しい戦闘を交えなければならなかった。彼は、ただちにふたりの弟を旅団の下級士官に任命し、自分の指揮のもとに最初の戦争を経験させようと進発を命じた。両親の顔は、三人の息子を見送るとき、恐怖と悲哀で暗澹(あんたん)とした色をおびたが、彼は笑って両親を安心させようとした。私なんか長年軍隊にいるけれど、負傷したことさえないのです!