Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

軍閥地獄からはいあげるために 『偉大なる道』第3巻③ー9

 現実とは何かといえば、彼によれば、雲南護軍は、いまや四川を脱出しなければ、全滅の危機にのぞんでいる、ということだった。全中国は軍閥地獄であり、人民は途端の苦しみの中にあった。新軍閥の呉偑孚(ごはいふ)が北京の権力をとり、一時的に孫逸仙の南方政権と休戦していたが、それは相手を打倒するための準備工作にほかならなかった。ソビエト連邦からの第一回調査団が中国に向かっていた――それは、後に孫逸仙博士の政府との間に結ばれる同盟の、手さぐりを意味していたのだが、こういうことを朱将軍はほとんど知ることもなく、また彼の注意を引くということもなかった。彼が軍人生活をえらんだのは、祖国解放の道としてであったが、10余年の闘争のあとに、その夢は瓦のごとく砕け散り、みずからは二人の弟の死の直接原因、そして父の死への責任も感じざるを得ない身となっていた。アヘンの煙も、この惨苦をかき消すことはできなかった。

 

 護軍の何回もの長い会議に彼も加わったが、結局、戦いつつ雲南に引きあげ、唐継堯の政権を倒そうということになった。唐継堯は、1916年の蔡鍔の死後、省を彼の小王国とし、「雲南小王」というあだ名で憎まれていた。

 

 こうした会議のとき、朱将軍は、暗黒の絶望の淵からはい出してきて、友人孫を相手に、中国の情勢や彼ら自身の将来について、長く真剣な議論をかわした。いくつかの特殊題目に分けて討議をして、それぞれを、結論に達するまで数日にわたって分析しさえもした。軍人生活は、もはや彼らにとっての道ではないと悟ったが、別の道を選ぶまえに、まず外国の政治思想と制度について研究しなければならない。孫は、妻子を四川に残して、ただちに北京に向かった。朱は、妻子を里の南渓の家に残し、自分は「雲南小王」を打倒すれば、ただちに軍隊を去って孫と行動をともにすると決めた。