Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

外遊への決意 『偉大なる道』第3巻④ー2

 ここにあるすばらしい建物、広い街路、新しい学校は、若くして亡くなったあの指導者の力によって建設されたものであり、あのあたりには、自分の若い妻の学校があり、日曜には、ふたりで散歩しながら、新しい、平和な、進歩的な未来の中国について語りあったものである。あの妻も蔡鍔も亡くなり、いま自分は35歳の男であり、アヘンを吸う官僚であり、よくできた妻がいながら、気がむけば複数の女をかたわらにおいている。いま自分は、ありし日のわが夢と祖国に寄せた希望が破れ去った跡にたたずんでいる。


 どうしてここに止まっているのか、と彼はみずからに問い、孫逸仙の国民への最近の呼びかけに口実を見出すのであった。孫博士は、1911年の革命はただ民族主義をいく分実現しただけであり、ほかの2つの主義、すなわち民権と民生はすこしも成しとげていない、といった。また博士は、華南の新生広東省こそ、民族、民権、民生の三原則が根をおろす苗床となり、そこから揚子江黄河の流域にもひろがってゆくだろう、ともいった。

 

 むかし朱にむかって、中国の救済について問いかけたのは、だれであったか、それは老師シ先生であり、その問いとは、1900年つまり義和団時代の中国は、数十年前の、ただ海外の一国か、たかだか二国に抵抗して敗れたときよりも、強くなっているか、であった。その1900年は、半世紀前よりも弱かったのだが、21年後のいまは、あらゆる帝国主義の国々が北京政府に干渉し、それぞれが自国の手先となる軍閥をもっている。

 

 雲南は、1915年-16年に試みたように、共和国を救うことができるだろうか。長い間「雲南小王」の長靴に接吻していた将軍どもが、共和国に忠実だ、と信じることができるか。否、と朱将軍はみずからにいいきかせた。