Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

土匪レイ・ユン・フィとの友情 『偉大なる道』第3巻④ー8

 「彼と私は友人になり、何時間も中国の現状について話しあったりした。するどい理解力をもった男で、私に数かぎりないほど質問をあびせかけ、また私にむかって、「この土地にとどまって相談相手になって指導してほしい」とせがんだ。私が留学の決意をはなすと、がっかりした。出発のときには、私は自分が持っているものの中でいちばん貴重なものだった、自動拳銃と立派な美しい愛馬をおくった。そのかわりに、ただ山地産の小馬をもらって旅をすることにした。私はまた、南渓の私の家内の居所をおしえ、彼がその地方に旅行するとか、逃亡して避難せざるを得ない状況のときには、そこをわが家と思うように、といった。

 

 「出発のときには、彼は何里となく馬で送ってきて、それから、武装の従者に命じて、領分のはずれの会理のすぐ近くまで送らせた。何ヵ月かのちに、私が上海にいて、家内から受け取った手紙の中には、彼が使いを南渓に出して私の馬をとどけ、私の安否をたずねた、とあった。1年後、私はドイツにいて、また家内の手紙を受けとった。レイ・ユン・フィは、自分で南渓にやってきて、私を連れて帰ろうとしたのである。私が外国に行ったことを聞くと、すっかり気を落とした。家内の一家は、賓客として彼をもてなした。それからまた1年たったころ、私が故国の新聞を見ると、彼は、四川軍閥劉湘の甥とたたかって死に、彼の領土は奪われた。私は悲しくてしかたがなかった。レイ・ユン・フィは、彼の敵よりもはるかにいい人間だった」

 

 レイの領土をはなれると、朱徳の一行は名前を変え、職業は商人にして、こういう危険な土地の旅だから、武装のものを連れている、と周囲に説明した。雪をかぶった山岳地帯を馬で越え、それから大渡河をわたったが、そこは60年前に石達開ひきいる太平軍がせん滅されたところだった。朱将軍がこの地方を旅したという経験は、13年後に彼が中国紅軍をひきいてここを通過するときに、大いに役に立った。