Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

軍閥楊森からの誘い 『偉大なる道』第3巻④ー9

 雅州地方に入ってから、一行は真東に向かって、四川におりていった。彼は、この雅州においてアヘンとの決別をした。そのころの朝晩、彼は、アヘン中毒をなおすために数ヵ月前に買った広東の薬草を煎じて飲んでいた。彼はその飲み物の効果を信じてすがるように飲んでいたが、苦しいもがきはつづいた。アヘンが切れると、夜もねむれなくなり、体は衰え、消耗して、馬にのる力もほとんどなくなった。5月の半ばに、一行が南渓の彼の夫人の家についたときにも、彼はまだ不眠症に苦しんでいて、真夜中に起きては、歩きまわったり本を読んだりした。しかし、勝利の道には進んでいっていた。

 

 逃亡者たちは、四川軍閥の手先がいたるところにいて、彼らの到着を知っているにもかかわらず、手出しをしないのを不思議がった。彼の夫人や旧友たちは、雲南府で捕らえられた同志たちの悲惨な最後について語ったが、四川軍閥はいまや確乎たる力で根をおろしていて、経験豊かな軍人を味方に入れようと努力している、とも説明した。一行はすぐに舟にのって沿岸に向かったが、朱将軍だけは数日妻子のもとにとどまった。彼の息子は6歳になっていて、色が浅黒くて、ぺちゃくちゃとおしゃべりをして、彼の小型のような快活な子どもで、父の膝にのぼって、母に教わった本を読むのが大好きだった。

 

 「苦力」坊やはほこらしげに読む、「それは、苦しい力、ということです。苦――見て、これはおじいさんの顔のように、ねじ曲がっています。この人は痛いのです。この人のくらしは苦しいのです」

 

 朱が沿岸に向かって出発しようとする間際に、四川東部を支配する軍閥楊森から電報がきた。楊は「老朋友の名において」彼を賓客として重慶に招いた。朱は承知したという意向を返電し、妻子に別れをつげた。それから彼はふたたび彼らに会うことはなかった。13年後に、彼らは西方の軍閥によって殺された。