Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

楊森と劉湘による酒宴 『偉大なる道』第3巻④ー10

 1922年の6月のはじめ竜舟の祭のとき、朱将軍の舟は重慶につき、楊森将軍は、武装の護衛兵のあいだから踏み出してきて、まるでふたりの友情には影がさしたことなんて少しもなかったように、あふれるばかりの感情をみせて挨拶した。劉湘将軍も成都からきて、秘密軍事会議をしているとのことだったが、朱は、その意味をたずねようとするほど無分別ではなかった。たずねなくてもわかっていた。中国の他の地方に戦雲がうずまいていた。孫逸仙博士の対軍閥の遠征は失敗に終わっていた。雲南軍はその遠征軍に加わっていた。孫博士が前線に出たあと、広東で留守を守っていた省長は、香港のイギリスの銀行家たちに買収されて、クーデターをやった。孫逸仙夫人宋慶齢は上海にのがれて博士と合流した。

 

 ふたたび革命は流産し、イギリス帝国主義御用の「強い男」呉偑孚は、いまや北京を中心としてほとんど全国の主人となった。朱将軍は、聞かなくても、四川の軍閥どもが呉と同盟を結んでいること、ただし彼らは自己以外の何ものにも忠誠でないことを知っていた。ふたりのどちらも、十分力をつけてきたと思ったならば、相手を裏切って全四川を横領しようとするだろうということも知っていた。

 

 朱将軍が、いやいやいながら手短かに語った重慶の一週間のことは、中世の伝奇物語のなかの場面に似ていた。くる日もくる日も宴会があり、マージャン賭博があり、歌妓と胡琴がさざめき、酒はあふれ、すべてはアヘンの煙に包まれていた。ふたりの軍閥は、自らは吸わなかったが、朱にむかっては仕来たりどおりアヘンをすすめ、彼がその習慣をやめたと知るとびっくりした。

 

 酒をくみかわしつつ、三人は、むかしの封建諸侯さながらに談じた。過ぎた戦争をふりかえっては、かくかくの時に貴公はかくかくの手柄をたてた、などといい、おのれのことは謙遜しながら、相手のすばらしさをほめそやした。秋の木の葉のごとく散った兵士については、一言も話さず、悩める農民や両軍の歩兵騎兵にふみにじられた作物についても、まったくふれなかった。それだけでなく、孫逸仙や中国の運命についても、一言も話題にしなかった。