Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

楊森と劉湘の前で留学の決意表明 『偉大なる道』第3巻④ー11

 朱徳が予期していたように、楊森は、彼を幕僚として迎えようとし、この36歳の敗戦の将軍が財産も先の見通しもないのに、どうしてそれを拒んだのか、納得できなかった。

 

 「どうして拒んだのですか」と私も朱将軍にたずねた。「私はそれほど老いぼれても堕落してもいなかった」と彼は返答した。「では、どうして重慶などにいらしたのですか」と私はさらにたずねた。というのは、私はどうしても、彼の生涯を取り巻いている封建的因襲や勢力関係の蜘蛛の巣の実体をつかむことができていなかったからである。それからまた私は、力と特権の味を知り、少なくともある程度に生の歓楽を知った貧農出身の男の、心の惑いの正体をきわめることもできなかった。

 

 もし楊森の招きを受けなかったならば、朱将軍と家族は危険だっただろう、と彼が説明したとき、口元は皮肉にねじ曲がっていた。彼は、かつての革命家がどう変わっているかという好奇心にもかられたのである。さらにもう一つの理由があったということも否定できない――彼は片方の足は未来に足がかりを求めながら、まだ片方の足は旧い秩序の中に置いていた。

 

 彼が、主人たちにむかって、新しい生活の道を学び知るためにヨーロッパに行くつもりだと説明したとき、彼らはにやりと笑い、劉は、ただちょっとのあいだ蛾眉山に引っこめばいいものを、どうして時と金を浪費するのか、とたずねた。

 

 朱将軍の辛辣な機知は、思い出によってわき立ってきた。「ご存知ないかもしれないが、敗れた軍閥や政治家は、ときどき蛾眉山みたいな山に逃げ込んで、しばらく寺に住んで、信仰と学問が深いという評判をでっち上げて、それからまた再起をはかって降りてくる、というもくろみだ。きまったように、詩を作って、心境を練り、高徳の生活をもとめていると、広く世間に知られるように工夫する。自分で詩が作れなかったら、どこかの堕落した知識人をやとって、そいつにやらせる。また、なかには、長い旅をして、先祖の墓の掃除をして、親孝行の証明をする、ほんの少しのあいだ、屠殺の刀を捨てて聖者になるのだ。

 

 「私が楊将軍にむかって、それでも外国へ留学するつもりだと答えると、彼は「帰ってきたらいつでも幕僚の席をあけて待っている」といった。一週間後、私は上海にいた」