Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

ベルリンでの混乱する中国人集会 『偉大なる道』第4巻②ー13

 朱将軍のこのような闘争の物語をきく私も、じつはそのころベルリンにいながら、彼の存在については知らなかったのだが、ふと、両派が激突するある中国人集会の光景を思いうかべた。それは、およそ500人ほどで、中国人のほか、ドイツ人やインド人もまじり、朱将軍を指導者の一人とする国民党支部によって召集されたものだった。保守派の中国人学生の一団が、小さくまとまって一角を占拠していて、ひとりの中国人学生が演説しはじめると、罵声をあげて野次を飛ばした。

 

 私には、それがだれだったかわからなかったが、背広姿の中年中国人が、すぐに席の通路を激しく突っ走って野次の群れに向かっていった。そして、一言も発しないで、腕をのばして、ひとりの野次の首筋をつかみ、まさに通路に向かって放りあげて、ものすごい勢いで、後方の扉に向かって押しやり、片足で扉をけりあけてから、その野次を、まるでポテト袋かなにかのように外に投げ出した。


 その男は、またくるりと向きなおり、通路を、こんどは3,4人の中国人学生をしたがえて、大股でいそいできて、またひとりの野次をつかみ、なかば宙に持ち上げながら、後ろの扉から放り出した。彼にしたがった学生も同じようにして他のものを放り出した。こうして、ひとりひとりと追い出されて、最後には野次といえば、ひとりの頑固な女が、壇上の演説者に向かって叫びかけているだけだった。

 

 聴衆が、しんと息をのみながら見つめていたなかで、中年の男は、また通路を歩いてきて、腕をのばして、女を座席から引きずり出し、強引に扉の方に押してゆき、彼女の仲間たちの男たちといっしょにして突き出した。これらのすべては、10分とたたないうちに終了し、すべて軍隊式にきびきびとしたものだった。中年の男は、それから会場の後方の一点を指揮所として立ち、彼の配下の学生たちは、それぞれの要所に散開した。

 

 私はそのときこの目でみた光景を朱将軍にかたったのちに、たずねた。

 

 「あなたは、あの事件に参加しましたか。あの中年の人はあなたですか」


 「多分」彼はにやりと笑った。「そういう集会は、いくつもあった。反動派は、いつも会場破りにやってきたが、われわれはいつも奴らをたたき出した。だが、5月30日の上海の大殺戮の知らせを受けてからは、形勢はさらに一変した。それは1925年のことだが、日本の工場で殺された一人の中国人労働者のために抗議にたった労働者と学生の列に、イギリスの警察が弾丸を打ち込んだのだ。こうなれば、もはやベルリンスポーツパレスの集会どころのさわぎではなかった。