Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

マルクス主義の学者のもとで研究 『偉大なる道』第4巻②ー15

 ドイツでは、朱将軍と同志が、ドイツの労働者階級とつながりながら、2ヵ月の間に何回か大集会をひらいた。同じような示威はフランス、イギリス、オランダ、アメリカでもおこなわれた。イギリス政府は、フランス政府に、中国人指導者20名を追放させ、さらにドイツ政府にも同様のことを要求した。しかし、ドイツ政府は、中国人が国内で大集会に参加することだけを公に禁ずるということで妥協した。中国人は集会に列席するのはかまわないが、そこで立ちあがって発言すれば、ただちに捕らえて追放するだろう。この禁令を無視した3人は、即座につかまり、24時間以内に国外に出る命令を受けた。


 いまや、朱将軍は帰国を決心したが、同志たちは反対して、もっと長くドイツにとどまり、経済問題や国際問題の体系的研究に専念したのちに、故国での政治生活に入ってもおそくないと説得した。実際のところ、そのときまでの彼の研究は、概論的な公式的なものにすぎなかった。体系的な学習をする必要があるという同志の言葉に賛成した。

 

 それで、1925年秋から、朱徳はドイツ人のマルクス主義の学者のもとにおもむいて、さまざまの記録、報告、統計、新聞記事、雑誌記事、その他中国および国際問題に関する資料の研究をつづけた。

 

 「統計的研究はとてもむずかしかったが、私にとってはもっとも有益だった、――というのは、それは、事実にもとづかない理論は無用な抽象にすぎないということを、私に教えてくれた。それ以来、私は、ある人間のまじめさや、本や新聞記事の正しさを判断するには、彼らが、とりとめないイデオロギー的幻想をもてあそばないで、事実を用いているかどうか、によることにした」