Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

蒋介石、北伐軍の総司令官に 『偉大なる道』第4巻②ー17

 国民党とのあいだの、だらだらとつづく交渉の結果、休戦状態がつくり上げられた。共産党指導者の一部は、民族統一戦線を維持することにあせり、もし蒋が孫逸仙三民主義と三大政策を守るならば、自分たちは地位を捨てさっていいといった。蒋は、時をかせぐために合意した。彼は声明を発表して、みずからのあやまちをみとめ、孫逸仙の三大政策に忠実になると誓った。地位を去った共産党員の中には、新革命軍の政治部主任周恩来がいた。前年ベルリンで朱徳の友であった俊英な革命的知識人鄧演達が周の後任になった。朱徳の旧友孫炳文は、鄧の下で、副主任にとどまった。

 

 「蒋介石は、鄧演達まで憎んだ」と朱将軍はいった。「だが、その当時は、どんな処置もとることができなかった。数年後彼の手下は、ひそかに鄧を上海で捕らえて南京に送り、そこで蒋が殺した。蒋の広東でのクーデターは、一時は失敗したが、彼はしばらく隠忍して、彼の革命軍をひきいて上海に入る時を待った。彼は、6月または7月を期して北に向かうべく準備している『北伐軍』の総司令官に任命された。われわれの中国革命は、たくさんの過失をおかしたが、1926年の広東における対蒋介石の処置も、そのひとつだった。なにぶんにも、われわれの党は、弱くて未熟だった。われわれは、民族統一戦線内の多くの党や団体のうちのひとつにすぎなかった。蒋の流産クーデター、その他の反革命的行動と爆発は、全世界にちらばっていた中国革命家たちを刺激した。多くのものが故国を目指して帰った。私も、軍閥および外国の帝国主義とたたかう北伐軍が7月に進出するまでには帰国したいと、精力的に学習した。その3,4ヵ月というものは、昼夜兼行で勉強した」