Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

騒擾罪でドイツから退去命令 『偉大なる道』第4巻②ー18

 6月中旬のある夜、朱将軍は書物や文献と別れをつげ、9人の中国人と一団となって、ベルリンスポーツパレスでの中国問題に関する大集会にはせ参じた。ドイツ政府の特別命令によって、中国人はこのような会合に加わることを禁じられていたが、聴衆としてそこにいって、演説をきくことは悪いわけがない。


 集会がおわり、場外に出ようとしたとき、朱徳の一団はにわかに警察隊におそわれ、逮捕され、囚人護送車にぶちこまれて、アレクサンダー広場の拘置所にはこばれ、そこに10日間監禁され、そのあいだ当局は、彼らを留めおくべき何か法律はないかと研究した。

 

 「私は、それまでにも二度つかまったが、いつも釈放されていた」と朱将軍は微笑しながらいった。「こんどの逮捕でも、心配はしなかった。私は、拘禁の状況はどういうものか知りたかった。監房内は静かで平和で、私はこの数ヵ月勉強しすぎていたので、ここで睡眠不足を取りもどす時間をもった。毎朝、守衛が私の小さな独房に入ってきて、机の上に、うすいコーヒーが入ったブリキ缶と黒パンのひとかたまりを置いた。私はそれをたいらげると、運動をやり、しばらく歌をうたって暇つぶしをし、それからまた寝た。正午にも晩にも、守衛がまた入ってきて、机の上に、黒豆の皿と黒パンのひとかたまりを置いて、出てゆく。

 

 「そういうふうにして10日がたって、われわれは法廷に出されて、旅券を見せろといわれ、それからいくつかの簡単な訊問をうけた。裁判官は、われわれを騒擾罪にあたるものとし、24時間以内にドイツ国外に退去するように申しわたした。

 

 「中国大使が申し入れをして、一団中の8人の追放を取り消させたが、私ともう一人はだめだった。私たちふたりは、以前にも逮捕されたことがあり、この大集会の準備に一役買っている疑いがある、というのだ。もちろん、われわれはみな一役買っていた! しかし中国大使が、そっと教えてくれた話によると、イギリス政府が、内密に、われわれをドイツから追放することを要求し、ドイツ政府がそれにしたがった、ということだった。

 

 「私は、かねて中国に帰る準備をしていて、ちょうどソ連経由上海までの三等乗車券を買うだけの金はあった。ともにドイツから追われた友人は、フランス経由で帰国した。私は、3つのトランクに本や地図や文献類をつめて、シュテッティンを出帆してレニングラードへ向かった」