Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

北伐軍に鼓舞される農民運動 『偉大なる道』第5巻①ー10

 北伐軍が広東を出発して、湖南の平原に入ったとき、その勢いに応じて農民はたちあがって、地主の傭兵「民団」の武装を解除し、村々を占領して、地主どもを追っぱらった。国民党の、土地改革――小作料の軽減や高利の禁止など――の約束などは当てにしないで、多くの農民組合は、土地を没収して分配したが、それは、中国歴史上のすべての革命蜂起のときに、農民がしたことだった。朱将軍が武漢にきたころには、湖南省だけで2百万の農民が団結していた。家族を合わせたら、少なくとも1千万の農民、つまり省人口の半分ともいえた。

 

 この強大な蜂起についての毛沢東の諸論文を読んだとき、朱将軍は未来に危害がやってくる可能性があるとはっきり感じとった。この農民運動にも労働運動の場合と同じように、おそろしい反撃が、旧社会体制の勢力からだけでなく、革命軍の内部の、総司令官蒋介石をふくむ多くの高級士官からも加えられ、すでに多くの土地で、国民党右翼の指導者たちは、農民指導者たちを捕らえて、獄に投じていた。

 

 「鉄軍」(第四国民軍)が武漢をとり、労働者がさらに前進の道を切りひらこうとたちあがったとき、ことは最後の岩頭にまできた。この時までには、およそ30万の産業労働者――つまり3市の労働者のほぼ半数が、すでに共産党によって労働組合に組織されていた。国民党は、いちかばちかのところに乗り上げていた。革命の勝利を可能にしたものは、労働者と農民の運動にほかならなかったが、それは同時に、国民党の指導権をあやうくするものだった。

 

 国民党の政府は、広東から漢口へと移りつつあった。政府をうごかしてゆく国民党中央委員会はすでに到着していて、主要人物たちは蒋介石と秘密裏に交渉していたが、蒋の主張は、大衆運動は、即刻に解消させないまでも、力を制限する必要はある、ということだった。