Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

蒋介石と宋美齡の結婚 『偉大なる道』第5巻②ー14

 「1927年の7月中旬までには、大革命の幕はとじた。左派の革命家たちは、ロシア人顧問とともに逃亡し、流血は河となり、将軍たちは、そむいたり、したがったりのくり返しで、いたるところ混沌たる騒乱だった。蒋介石は、覇権に近づきつつあり、新旧の軍閥を手中におさめ、彼らをたがいに相たたかわせながら、自己の優越の地位を保った。ちょうど1911年革命後に袁世凱が権をにぎったときのように、蒋も、外国帝国主義と中国ブルジョアジーと封建的地主階級の3つの力の合体によって支えられていた。ちょうど袁世凱のように、蒋は、外国人によって、愛国者、国家の柱石、大政治家、そして中国を統一する能力をもつ唯一の強い男、とよばれていた」

 

 蒋は、少なくとも一つのことを、袁世凱から学んだ。彼は、袁のように、キリスト教諸国にむかって、自分のために祈ってくれ、というのではなく、すぐに自分でキリスト教会に入った。またすぐに妻と妾たちをすてて、宋美齡、つまり孫逸仙夫人と孔祥煕夫人の妹と結婚した。蒋のこれらの行為は「巧妙な戦術だった」と、朱将軍はいう。キリスト教徒となることによって、彼は、「背後にキリスト教国の宣伝機関」をもつことができ、宋姉妹のひとりと結婚することによって、自らを中国の大財閥――宋孔二財閥の膝のうえにのせることになった。

 

 この「巧妙な戦術」は、さらに、孫逸仙の夫人を義姉にもつことによって、彼を、孫逸仙の衣鉢をつぐ正統者とするだろう。その戦術を構成するただ一つの環が、その場所にはまることをこばんだ――というのは、孫夫人は、彼女の夫の聖なる名が反革命の飾り物になることを防ぐために、中国を去って外に出た。蒋は、姻戚関係に乗じて、彼女に、ヨーロッパから帰って「慎重に考慮」されるようにと打電した。彼女はそれを無視した。