Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

南昌蜂起計画の準備 『偉大なる道』第6巻①ー3

 「われわれが、この新しい政策を実行に移す最初の行動は、南昌で『鉄軍』の武力蜂起をおこない、つづいて、この軍隊を広東へ進軍させ、新たに国民革命政府を樹立することであった。南昌蜂起は収穫期に合わせて計画した農民蜂起の合図となり、相呼応してたちあがった農民は、民団、すなわち地主どもの私兵部隊からうばいとった武器で武装することになっていた。しかし、後になってわかったことだが、軍隊を使って、農民蜂起を援助した指導者は、毛沢東ただひとりであった。毛沢東は、こういう闘争を通じて、もっとも活動的な農民義勇隊をえらんで、その部隊を増強していった。

 

 「この秘密会議で採択された政策は、次のスローガンで要約することができる――反軍閥反帝国主義闘争をつづけろ――南京とたたかえ、蒋介石とたたかえ――農村革命を開始せよ――人民を武装させろ――


 「私は、これらの対策のすべてに、賛成の票を投じた。われわれみんなは、混乱とテロのまっただ中に立っていたのだが、私は、ついに肩の重荷をおろしたように感じた。そのときまでは、私は、党の政策について、なんらの発言もしてこなかったが、自分に与えられた任務だけは、力のかぎり遂行していた。

 

 「会議がおわると、同志たちは、それぞれ指命された任地へ去っていった。毛沢東は、漢口に帰って待機し、南昌蜂起と同時に、漢口守備隊内の多数の黄埔軍官学校生とともに、守備隊をひきいて、湖南へ南下することになった。蘇兆徴は、揚子江流域の労働者組織への工作をすすめ、蜂起の準備をするために出発した。南昌蜂起の準備と指導をする前線委員会に選出された多くの人たちは、ただちに南昌に向かった。私も、この委員会の一員にえらばれた。委員のなかには、第十一軍の葉挺将軍、第二十軍の賀竜将軍をはじめ、その軍の参謀長や政治委員たちもふくまれていた。劉伯承が前線委員会の議長になり、周恩来が副議長だった。そのほかの委員には次の人びとがいた――葉剣英、党指導者として李立三、張国燾(ちょうこくとう)の二人、譚平山(たんへいざん)、劉志丹。