Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

桂陽会議後の土地革命の始まり 『偉大なる道』第6巻③ー8

 湖南省南部と広東省北部から集まった党代表の桂陽会議は、3日間つづいた。それから代表たちは、12月の半ばに一斉に始まることになった蜂起の準備のため、それぞれの郷里へ帰っていった。会議の最終日、長い列をつくった農民の輸送隊が、范石生の司令部から、2,3百着の軍服と、かなりの量の弾薬をもって到着した。朱将軍が、広東市の共産党からの招請状をうけとったのは、ちょうど、5百人の漢口守備隊を、湖南省東部の茶陵という山の中の町へ送りかえし、さらにほかの部隊をほかの地方へ派遣する用意をしていたところだった。広東市からの招請は、ここでも12月半ばに計画している蜂起を援助するために、朱将軍にただちに行軍を開始することを要求していた。

 

 12月のはじめ、ただちに朱将軍は南方へ向かって進軍をはじめた。しかし朱将軍の部隊が行動をおこすやいなや、農民たちは、革命の合図の鐘が鳴りわたったものと考えて、いっせいに蜂起しはじめた。またたく間に、この小さな革命軍は、南湖南から北部広東にわたる全域に広がったはげしい土地革命の嵐の中に、完全に巻きこまれてしまった。農民は、蜂起し、地主と彼らの民団を襲撃し、朱徳のもとへ使者を送って、援助部隊を送ってくれと必死にたのんできた。朱徳は、四方八方へ小部隊を派遣したが、同時にこれらの部隊に対して、南方の一定地点で集結し、広東市へ向かって進軍するように命じた。