Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

宜章占領のための巧みな戦術 『偉大なる道』第6巻④ー4

 城壁をめぐらした小都市宜章に近い宜章区に入ると、すぐ朱徳たちは、農民自衛隊と出会った。この自衛隊は2,3百人の兵力を持ち、18歳の青年、陳コウが指揮をとっていた。彼の話によると、彼の家族は、彼らが働いていた地主に殺されてしまい、生き残ったのは彼ひとりであった。自衛隊のほかの多くの人たちもそれぞれ、まったく同じか、似たような話をした。陳コウ――その後、1937年には彼は八路軍の師団司令になっていた――は、「郷紳」の要塞化された邸宅の襲撃を組織し、指導した。こうして、今この自衛隊は、朱徳軍に参加することになった。

 

 その次に、参加してきたものは、フー・シャオ・ハイというインテリだった。彼は、宜章の町にいる二人の共産党員の一人として党と連絡していた。彼らふたりの家族は、いずれも地主だったので、公然と合法的――このような反動のとりでの中で「合法性」というものがあるならばだが――に生活することができた。フーの報告によると、宜章を守っている民団は、わずか3百人にすぎない。町を支配しているのは、地主の小グループで、彼らは同時に、商人や国民党の役人であった。この一味はフーを使者として北部広東へ送り、反乱した農民を鎮圧するための援軍を求めさせた。

 

 このような情勢にもとづいて、フーは一計を案じた――もし朱将軍が、彼に2百人の部隊を指揮させてくれるならば、彼はこの部隊をひきいて町に入り、民団を武装解除し、町の支配者を逮捕することができるのではないだろうか?

 

 朱徳は、ただちに、古参兵二個中隊を選びだした。朱将軍は彼らに、こぎれいな服装で身をかざり、つとめて、国民党の軍隊らしくふるまうように命じた。1927年12月29日の朝だった。フー・シァオ・ハイにみちびかれたこれら二個中隊は、宜章市へ行進していった。市の支配者たちは、彼らを歓迎し、その夜指揮官たちを宴会に招待した。