Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

敵の学生六個中隊への陳毅の説得 『偉大なる道』第6巻④ー9

 この計画は、文字通り、そのまま実行され、六個中隊の全員が捕虜になり武装解除された。丘のあいだの窪地につれてこられ、そこで、朱徳と陳毅が、工農革命軍の性格と綱領について説明をおこなった。まるで、友だちとはなしあっているような陳毅の演説は、捕虜のあいだに、深い感銘を与えた。というのは、陳毅自身が、古い学者の家柄の出身だったからである。それから、孫逸仙が広東にたてた、有名な黄埔軍官学校も卒業した。捕虜たちと同じ階級に生まれたが、どうして、軍国主義帝国主義に対して、たたかいつづける道を選んだかを説明したのち、陳は、彼らが護衛兵につれられて、おだやかに宜章へゆき、そこで、陳や朱徳と同じような他の人びととよく話し合いをするようにと、説得した。それからもし、郷里へ帰りたいというならば、そうしてもいい。帰りたいものには、旅費と軍の通行証を支給してあげよう。革命のために、たたかいたいという人は、大歓迎する、しかし、革命の道は長く、かつきびしいことを知ってもらわねばならない。


 「われわれ中国の青年には、奴隷にされることよりも恐ろしいことがあるだろうか?」と陳毅は、みんなにたずねた。捕虜のなかから、多くの声がいっせいに答えた。「ない!」と。

 

 ある若い革命軍の指揮官も立ちあがって、説明を始めた。彼も、かつて学生であり、家族全員が大革命に参加した。反革命がはじまったとき、1人の妹と2人の兄弟が殺された、と。つづいてひとりの農民兵が、封建的地主とたたかった彼の家族の悲劇的な運命について、ものがたった。話している間に、彼の頬にとめどなく涙が流れ、とうとう話しつづけることができなくなった。朱徳が捕虜たちの方をずっと見まわしてみると、捕虜の中にも、すすり泣いているものがあった。

 

 「訴苦会」として有名になったこのような集会は、革命が勝利するまで、その後20年以上にわたって、中国革命の一つの典型になった。

 

 学生六個中隊は、宜章に送り返され、そこで、わずか15人を除いて、全員が革命軍に加わった。

 

 朱将軍が筆者に話をしてくれた1937年には、すでに彼らの多くが、朱徳軍の軍事的あるいは政治的幹部になっていた。