Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

朱徳と毛沢東の類似点と違い 『偉大なる道』第6巻⑤ー2

 ふたりの風采や気質を見ると、朱徳の方が毛沢東よりはるかに農民的である。ふたりとも、自分たちの出身である農民と同じように率直でむき出しで、かつ現実的である。だが、毛沢東は基本的にはインテリで、彼の一風かわった思弁的精神は、中国革命の理論的諸問題とたえず取りくんでいた。毛沢東は、一面、まるで女のように鋭敏な感覚と直観力をもっていたが、同時に、あらゆる自信と決断力に満ちた、きわだって男らしい男でもあった。ふたりとも強情で、ねばり強かったが、この性格は、朱徳の方にもっとはっきりとあらわれていた。朱徳は、政治的にも深い理解力をもっていたが、それ以上に、行動の人であり、軍事的組織者であった。

 

 だが、朱徳の性格には、奇妙な矛盾があった。頭のてっぺんから足のつま先まで、男性的で、焼きを入れた鋼鉄の棒のように行動したが、その剛毅な外観の内には、強い謙遜の念があふれていた。これは、後年、毛沢東にしばしばかんしゃくをおこさせたものである。この謙遜の念は、彼の出身が貧農であることや、教養と学問のある人にたいして農民がもっている尊敬によるだけでなく、おそらく、彼が若いとき、軍閥の一員としてすごした時代に根ざした、無意識的な罪悪感にもとづいているものと思われる。

 

 朱徳は、人間の性格と誠実さを見る力に恵まれていたので、彼の分身ともいえるような、おのれの後半生の判断をまかせることができる男に出会った、とすぐさま認識したようだ。

 

 朱徳軍は毛沢東の二個大隊にみちびかれて、山の中の行軍をつづけた。この行軍を阻止しようとする敵の部隊を粉砕し、1週間後には、井岡山へのぼる5,6本の細い道の1つをうねりながらのぼっていった。この有名な戦略的山岳地帯にはいるには、このほかに道はなかった。