Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

紅軍第四軍再編成と土地革命 『偉大なる道』第6巻⑤ー5

 井岡山会議は、朱軍と毛軍を再編成して、ひとつの軍に統一することを決定した。この統一軍は、紅軍第四軍とよばれた。隊員のなかには、赤地の中央に四つの星と鎚(つち)と鎌をえがいた旗をもつ、旧第四軍の出身者が多かったからだった。この会議は、3つの主たる規律も採決した。――

 

 一、命令に服従すること。

 二、農民から、たとえ針一本、糸一すじといえども、とってはならないこ
   と。

 三、没収したものは、すべて提出すること。

 

 これにつけくわえて、8つの規則もさだめられた。――


 一、世話になった家を出るときには、寝台がわりに使った戸はすべて、元ど   
   おりにし、しいて寝たむしろもみな返すこと。
 二、人民に対しては、ていねいにものをいい、できるときはかならず、手助
   けすること。
 三、借りたものは、すべてかえすこと。

 四、こわしたものは、すべて弁償すること。

 五、商取引はごまかさないこと。

 六、衛生に注意――便所を掘るときは、人家のめいわくにならないぐら
 いの距離にはなしてつくり、出発するまえには、土をかぶせて埋めてお
 くこと。

 七、決して婦人にたわむれてはならないこと。

 八、捕虜を虐待してはならないこと。

 

 この会議は、さらに次のような決定をおこなった。井岡山をとりまく6つの県、あるいは村々を土地革命の基地に転化したうえで、この基地をしだいに拡大してゆき、江西省や隣接する省内にまだ存在するほかの基地を合体してゆかねばならない。これらの地方においては、土地は補償なしに没収し、農民に分配する。農民、その他一般人民は、組織され、武装され、訓練を受け、かつ、できるかぎり教育を受けなければならない。


 その当時、朱徳はこういう意見をのべていた。「われわれには、いろいろなものが必要だが、何ひとつ持っていない。だから、われわれは、山のなかに野菜畑をつくり、米は、まわりの地主から没収してきて、将来のために、山のなかにたくわえるのだ」

 そのころ、「はだしの朱徳が米をかついで山にのぼる」という農民の民謡がつくられた。しかし、この歌は、朱徳が、自分はわらじをもっていて、はだしではなかった、とはっきりいったので、詩的誇張だったにちがいない。