Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

彭徳懐、旅団をひきいて反乱 『偉大なる道』第6巻⑤ー11

 当時は、大都市の海外の新聞や中国の新聞は、「紅匪の残虐行為」についてのおとぎ話で紙面をうずめていたものであった。蒋介石将軍は、戦闘をまじえていた競争相手の軍閥と、一時的に休戦協定をむすんで、4万の軍隊で井岡山地方を3つの省から包囲し、「紅匪」を餓死させるようにと命令した。

 

 この井岡山地帯を北方から封鎖するように命じられた湖南の諸師団のなかに、二人の若い士官がいた。このふたりは、その後、中国革命の歴史上、目ざましい役割を演じることになった。ひとりは、大隊長黄公略であり、もうひとりは、臨時に一個師団の指揮をとっていた連隊長、彭徳懐であった。彭は第二次世界大戦以来、朱徳将軍を総司令とする人民解放軍の副司令になった。このほか、若い中隊長クン・ホー・チァンもいたが、彼は、1930年代、革命闘争が激烈をきわめるようになったとき、蒋介石側に寝がえってしまった。

 

 この3人の国民党士官は、いずれも共産党の秘密党員だった。彼らの諸部隊は、井岡山の北方、萍郷―レイリョウ鉱山地帯に駐屯していた。7日になって、封鎖を圧縮するように命じられたとき、彭徳懐は、彼の旅団をひきいて、反乱をおこした。混乱状態におちいって、彼の部下の約半数は、6回も、味方になったり、敵にまわったりした。ついに彭徳懐は、2千人の部隊と数百人の鉱夫をひきつれて、農村へ入り、農民を結集して、ゲリラ地帯をつくりあげた。この地方が、のちに、東北江西ソビエト地区になった。