Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

大余の町を占領そして退却 『偉大なる道』第6巻⑥ー2

 「やつらと話しあったうえで、われわれは、捕虜を釈放した。われわれは、捕虜を訓練する計画をもっていなかったし、なんとかして、彼らによって、警報をひろげさせたかった。われわれは、封鎖部隊に、われわれを追跡させたいと、のぞんでいた。しかし、その後わかったことだが、封鎖部隊はわれわれを追跡しなかった。そのかわり、ほかの場所にいた敵軍が警戒態勢についた」

 

 南に向かって急進撃を続けながら、かかしのようなぼろをまとった紅軍の諸部隊は、瞬時に地主と民団を襲撃し、敵から食糧や補給物資を獲得し、地主の家で手に入れた服で着替えをしていった。いたるところで農民に呼びかけ、彼らの昔からの仇敵を一掃させた。この地方の守備隊を粉砕したうえで、紅軍は、江西省南西部のタングステンの都市、大余を占領した。以前から紅軍を知っている大余の民衆は、大挙して大衆集会にあつまってきた。紅軍は、ここに3日間とどまって、弾圧されてきた大衆運動を復活させた。こうしてわざと、敵軍一個連隊に紅軍に追いつく時間をあたえ、彼らを、混乱した絶望的な戦闘に追い込み、数百人の戦死者を出させた。

 

 朱徳毛沢東は、退却を命じた。その後の10日間というものは、江西―広東省境の氷にとざされた山々の中で、四方八方からむらがり集まってくる敵軍との必死の戦闘の連続だった。紅軍が通りすぎた雪におおわれた道の上には、血にまみれた死体がつづいていた。しばしば、まったく食糧もなく、また、十分に食べたこともなく、傷病兵をかついで、冬の山々を登ったりくだったりして、5,6マイルを行軍したのちに、やっと、野外や彼らに門戸をひらいた町や村で休息をとった。昼間しか行動しない敵軍を追いぬくために、紅軍は、いつも数時間だけ休息をとり、真夜中ちょっとすぎに行軍を開始した。