Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

汀州を占領 『偉大なる道』第7巻①ー5

 この最後の戦闘のまっただ中に、ひとりの哨兵が、朱将軍の司令部にかけこんできて、大声で報告した――

 

 「立派な軍服を着て、贅沢品を身につけた太った大男が、小舟で川をわたって、逃げようとしましたが、殺されました!」

 

 太った大男とは、まさしくクオ・ファン・ミン将軍であった。「ぜいたく品」というのは、大きな金時計と金ぐさりに、太った指にはめていた、たくさんの指輪のことであった。

 

 夜に入ってから、紅軍は汀州を占領し、その城壁のなかにいた敵軍を武装解除した。翌朝の夜明けまでには、この城壁にかこまれた町全体と、その周辺50マイル(80キロ)以内の地域に、支配権を確立した。そして、いつものように、毛沢東は、休むひまなく活動し、土地革命がはじまって以来、ずっとやってきたとおりに、人民の諸組織を復活させ、人民代表会議(ソビエト)を組織し始めた。汀州は、こと地方全体の中心地であった。いく人かの地主はつかまえられたが、ほかの地主は、南の方の大きな城市、上杭に逃げていった。村や町の委員会は、すでに土地を分配した。

 

 朱徳は――3,4時間たらずの睡眠をとるだけで、ぶっとおしで活動することができたのだが――彼のなすべき仕事をした。捕虜になった敵兵――大多数は、アヘンの吸引者や、昔からの職業的匪賊であった――をしらべて、よりわけ、不適格者をのぞいた結果、朱徳は、若い農民義勇兵千人を得ることができた。さらにまもなく、朱徳と彼の幕僚は、そのほか2千人の農民を組織して、農民パルチザンを編成し、青年をあつめて、赤衛隊もつくった。解放区のいたるところで、これら若い農民の分隊が、教練をし、リズムにあわせて行進するむずかしい技術をならっている光景を見ることができた。

 

 朱将軍の記憶のなかには、汀州でのさまざまな光景がきざみこまれていたが、そのうち、彼が話してくれたのは、とくに次の3つであった。1つ目は、クオ将軍の死体であった。そのまわりには、農民たちは彼らの敵がほんとうに死んだことを、自分自身に納得させるために、大勢が見物にあつまっていた。そして、農民たちは、朱徳が演説するのをじっとみつめながら、きいていた。――「そこにころがっとるのは、世界で一番の大悪党だ!」