Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

人民の武装をめぐる対立 『偉大なる道』第7巻①ー10

 このようなありし日の思い出を回想していた朱将軍は、「トロッキストと、右翼日和見主義者の一味」の活動に関する上海報告書のひとつを思い出した。これらの、かつての共産党員たちは、――と彼はいった――、共産党、あるいは特に朱徳毛沢東が、「民主主義革命を達成するために、工業都市にかえって、プロレタリアートと都市の小ブルジョア階級との闘争を指導するかわりに、内陸の孤立した山のなかに退却して、軍事的冒険と匪賊行為をやっている」と非難攻撃していた。

 

 「民主主義と人権に関する、これらの空虚な美辞麗句の背後には、革命に対する裏切りがひそんでいたのだ!」と、鼻息あらく朱将軍はいった。「中国のような半封建的、半植民地国家においては、人民にとって、もっとも単純な民主主義の権利でさえ、手に銃をとってたたかいとらねばならなかった。上海や漢口、広東、その他の都市では、演説、新聞、集会の自由、組織の権利を要求したというだけの理由で、また、逮捕されたとき、法廷で自分を弁護する権利を要求したというだけの理由で、労働者やインテリが路上で首をきられていた。『帝国主義』ということばを使ったものは、だれであろうと、ただそれだけで共産党員だという烙印をおされ、つかまれば殺された。8時間労働制や、賃金のひきあげ、児童労働の禁止などを要求したぐらいでも、頭から共匪ときめつけられたし、労働組合の自由という思想も、もちろん同じ結果をまねいた。


 「毛沢東とわれわれ多くのものは、はじめから、中国の人民が民主主義の諸権利をかちとることができるのは、外国帝国主義の下僕である反革命勢力を、武力によって打倒したときだけだと考えていた。多くのものはこのことを理解しなかったし、理解しようともしなかった。しかし、地主の支配のもとに暮らしている、もっとも素朴な農民、あるいは、国内と外国の反動どものむちのもとで働いている、もっとも素朴な労働者は、このことをよく知っていた。毛沢東と私自身、さらにわれわれが指揮していた部隊はどうかといえば、――われわれがみな銃をすてて、国民党の首切り人のまえに、われわれの首をさしのべるなどという考えは、毛頭もっていなかった」