Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

指導者たちに渦巻く旋風 『偉大なる道』第7巻①ー14

 かろうじて死をまぬがれ、疲労こんぱいし、目を血ばしらせて、朱徳のもとにたどりついた農民もたくさんいた。あるものは、息子や兄弟を殺されたはげしい悲しみに泣き、あるものは、憎しみをこめた声で、「わしにも、たたかわせてください!」といった。朱徳は目を小さなきびしい点のようにせばめて、じっと彼らの話をきいていたが、そばにいる若い指導者たちをふりかえって、こういった。「みんなに銃をやれ。行軍の途中で訓練しろ!」

 

 農民がまきおこす嵐は、吹きつのっていって、やがて20年後には、太古以来の圧制を絶滅するのだが、その旋風は、江西南部の朱徳や、はるか北西を進撃していた毛沢東をめぐって、このように渦まき吹きすさんでいた。それだけでなく、中国じゅうの10数カ所にわたって、ほかの指導者たちのまわりにも、同じ旋風が渦まいていった。

 

 「われわれは、どんな村も攻撃する必要はまったくなかった」と朱将軍はかたった。「村じゅうのものがわれわれをむかえに、どっと表に出てきたし、たびたび何マイルも歩いて出迎えてくれた。だが、地主の拠点は突撃して奪い取らねばならなかった。このような町や都市の城壁にたいしては、工兵隊の卵として編成されていた、わが軍の鉱夫たちが、穴を堀り、農民が爆竹をつくって売るのにつかう黒色火薬をつめた。これを爆発させても、わが軍の兵士たちが、通りぬけられるくらいの穴をあけることができないときは、農民たちが、竹のはしごをもってきて、いつもこれで城壁をよじ登った。たびたび、女や子どもたちまで、かごや天秤棒をかついで、地主の米倉をきれいにしてしまうために、いっしょに行軍してきた。われわれの部隊は、それぞれ、3日分の配給米を袋につめ込み、残りはすべて農民たちがとった。わが軍は、いたるところに訓練された要員をのこし、農民の組織と指導にあたらせた」