Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

強力な敵との苦しい闘争時代 『偉大なる道』第7巻①ー19

 福建省の西南部や江西省の南部では人民は依然として闘いつづけていたが、いまや非常に苦しい時代がやってきた。主要な町や都市はすべて、強力な敵の諸部隊に占領され、人びとは村々へ逃げのびて、数少ない貴重な文書を地面に埋めてかくさなければならなかった。そして数かぎりなく待ち伏せをくりかえしては、力のかぎり戦った。このころ、紅軍は勢力を2つに分割した。ひとつは、毛沢東の指揮下に、西部福建にのこって敵軍をなやませ、他の半分は、朱徳が指揮して、一大牽制作戦をおこない、国民党の領域内へできるだけ深く、海岸線の近くまで侵入して、敵の補給基地を切断し、少なくとも福建軍だけは、ソビエト基地から遠くへ追いはらうようにつとめることになった。

 

 夜間に行軍しては、一度きた道をひきかえして、追跡してくる敵を待ち伏せし、無数の小さな戦闘で、敵軍に打撃をくわえながら、朱徳は海岸都市、ショウ州にむかって急進撃をつづけた。

 

 「紅匪の頭目朱徳は、福建じゅうを暴れまわっている。彼は農民を虐殺し、放火、暴行のかぎりをつくしている」と、大都市の国民党系の新聞はわめきたてていたが、その朱徳軍は、農民に案内されて夜どおし行動し、昼は村々にかくれていた。都市でのさばりかえっている支配者たちと、福建省を自分たちの勢力圏だと主張していた日本人は、蒋介石にむかって、「紅匪を掃討できるのか、それともおまえにかわって、おれたちがみずからやらないといけないのか、どうなんだ」と詰めよった。蒋介石は「もう少し時間をかしてくれ、そして列強からもっと多くの武器弾薬の援助をしてくれ」と嘆願をつづけ、結局、その願いをききいれてもらった。

 

 朱将軍は、南昌蜂起の記念日にあたる、1929年の8月1日のことを思い浮かべる。味方の倍ほどの敵軍と激戦をまじえたあと、朱徳の部隊は、両岸の木から木へ渡した綱をつたって急流をこえた。彼の部隊は両手でこの綱にぶらさがりながら、向こう岸へわたった。日あたりのいい牧場でひと休みしたが、そのあたりで草を食べていた牛たちは、あのもの悲しげな目つきで驚いたように彼らを見つめていた。連隊司令リュウ・アン・クンが休んでいる兵士たちに、ヨーロッパにおけるファシズムの勃興について話したのもここだった。リュウはちょっと前にヨーロッパから帰国したばかりで、しかも、その年も暮れないうちに戦死してしまった。リュウはこう話した。イタリアのファシズムムッソリーニの指導下に、ついに権力をにぎり、国際銀行家どもはドイツ資本主義を支えるために、ドイツ共和国を滅ぼそうとつとめている。第二の世界大戦が計画されている――と、彼は言明した――、世界の労働者階級が組織され統一されないかぎり、かつ、中国人民が蒋介石独裁政権を打倒し、中国を平和と進歩のとりでに変えてしまわないかぎり、なにものも、この戦争をおしとどめることはできないだろうと。