朱将軍が次に生涯の話をしにきたときには、おもに歌と戦いについて語った。というのは、朱徳という人にとっては、歌うことが生活の一部になっていて、彼の生活と思想は、戦いによって形成されたものだからだった。
「われわれがくるまでは」と彼ははじめた、「人民が歌をうたうなんてことは、ほとんどなかった。もちろん、主として男たちが、ひとりひとりでうたう、昔からの山の歌がすこしはあることはあった。だが、まさに革命こそが人民のエネルギーを解き放ち、ありとあらゆる歌を生みだせた。その中には、農奴や奴隷の身分から解放された人びとが喜びうたう、とても素朴で、原始的でさえある歌もあったが、もっと進歩した歌もあった。恋や酒や月光や、あるいは、妾の眉の美しさをたたえた詩や歌を愛好する金持ちらは、こういう歌を嘲笑するだろう。これらの歌は、農民の希望や、彼らがそれを通じてはじめて自由の世界へ進むことができると知った新しいことがらを、表現したものだった。人民に合唱することを教えたのは、紅軍だった。福建や江西の山岳地帯の農民も、古いメロディーに新しい歌詞をつけたり、時には、みずからまったく新しい民謡をつくりあげたりした」
「上杭の歌」はこのような新しい民謡のひとつで、ほとんど、農民たちが紅軍から教わったものの引き写しだった。それは、貧しい人たちに対する同情と、福建南部の上杭という城壁市に――ちょうどヨーロッパ中世の貴族たちがその城に住んでいたようにして暮らしていた地主への憎悪の情をつづったものだった。
さあ、みんなそばへきて、わしの歌をきいてくれ。
労働者や農民はひどい貧乏だ、
地主は肉をくらい、わしらは苦労をくらう、
地主が遊んで、わしらはこき使われる、
ああ、辛くてたまらんわい!
まずいちばん、いっしょになって、赤旗をあげろ、
第二は、袖に赤いしるしを縫いつけろ、
第三は、村じゅうの反動どもをやっつけろ、
第四は、地主どもから、鉄砲をふんだくれ、
みんな、武装しろ!
わしら大衆は、はっきりしようぜ!
軍閥、ルー・ハン・ミンをぶったたけ、
だが、捕虜になった兵士らは別だ、
あいつらは、わしらと同じ貧乏人だ、
ああ、ひどい貧乏なんだ!
上杭に攻めこめ、商人の邪魔はするな、
いつも、貧乏人を助けろ。
地主と狼郷紳をつかまえろ、
やつらとは、折合ってはならんぞ!
どいつもこいつも匪賊だ!
忘れてはならんぞ、百頭地主を、
軍閥を、金貸しを、長官を、
税取り、警察署長を、民団の頭を、
商会を、国民党の親分どもを、
どいつもこいつも犬だ!
赤衛隊と農民らよ、はっきりしようぜ!
上杭を攻める日が決まった。
仲秋節に進軍するぞ!
人食い地主どもは死ぬんだ!
人民は生きるんだ!