Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

上杭進撃作戦 『偉大なる道』第7巻②ー2

 まさしく、民謡が語っているとおり、仲秋の日に朱徳は正規軍二個連隊と数個部隊の赤衛隊をひきいて、福建南部の上杭に向かって進撃した。行進してゆくと、沿道の農民たちは、それぞれ鋸(のこぎり)や斧や槍をとっていっしょに行軍しはじめた。ある日の午後おそく、朱将軍と彼の幕僚たちは、沈みゆく太陽をながめながら、木々におおわれた山腹に立って、足元に広がる谷のなかの古い城市、地主の要塞を見おろしていた。地上を歩いてこの町に入る道は1本しかなかった。それは南門に通じる道だけだ。この門は厳重に要塞化されていて、しかも毎日数時間しか開かれなかった。ほかの3つの門はいずれも閉鎖され、その内側には砂袋が積み上げられていた。

 

 朱将軍と幕僚は熟達した専門家の目で情況を観察した。もとより朱徳には、敵が待ちかまえている西側から攻撃する気は毛頭なかった。そばにいた連隊司令林彪をふりかえって、西門の前にならんでいる丘を指さして、こういった――

 

 「あの丘の上に、臼砲を2,3門配置すれば、敵軍全部を西門の周辺にひきつけるくらいの大さわぎをおこさせることができる。そのあいだに、背後から城壁によじのぼって占領しよう」

 

 この地方の情況はすでにすっかりわかっていた。赤衛隊が詳細な報告をし、地面に大ざっぱな地図さえかいて教えてくれていた。市の真北からトークー河がうねり流れていて、城壁の北側、東側、南側のまわりを完全な馬蹄型状にかこんでいる。川と古い城壁とのあいだに、かなり幅広い土地が帯のように横たわっていて、その夜の攻撃に大いに役立った。北門の真ん前に木におおわれた丘があり、朱将軍はここに第一次の司令部を置いた。

 

 朱将軍は、演劇について鋭いセンスをもっているが、いま、彼の脚下にひろがっている光景全体は、演劇、とくに喜劇のにおいがしていた。山の上の森の中から数千人の紅軍が敵を見おろしているのに、敵の兵士たちは山のふもとを流れる川でのんびりと水浴びをしたり、服を洗濯したり、川岸に寝そべったりしていた。彼らは、農民や紅軍の兵士たちが山中で大きな竹を切りだして、はしごを作り、その夜城壁によじのぼって、彼らを襲撃する用意をしているなんて、想像さえしていなかった。