Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

上杭占領と囚人の釈放 『偉大なる道』第7巻②ー4

 狙撃兵が城壁上の電燈を射ち落として、西側にいる臼砲隊に合図を与えた。敵の哨兵はまた赤衛隊がいやがらせ行為をしたぐらいに考えて、ただえんぺい物のかげにかくれただけだった。ところが、つづいて臼砲が西門を砲撃しはじめたので、城内にいた敵の旅団の全兵力が西門地帯におしかけた。農民たちはたちまち城壁に殺到して、はしごをかけた。まず紅軍の部隊と赤衛隊が、つづいて朱徳と農民たちが途切れることなくよじのぼり、城内の路上に流れこんでいった。

 

 戦闘は、朱徳が予想していたほど、なまやさしいものではなかった。完全に退路をたたれた敵の旅団と武装した地主どもは、あくる日の昼まで戦いつづけた。昼になってようやく敵軍全部が武装解除され、地主どもは、囚人が釈放されたばかりの中世のような不潔な監獄に収容された。紅軍の兵士たちは、あまりに残虐なとりあつかいをうけたために、歩くこともできなくなった政治犯たちをはこびだしたのだが、おそらく中世の専制君主でもこの光景を見れば、恐ろしさにふるえおののいただろう。なかには、口をきく力もなくなっていたものさえいた。

 

 まだマラリヤをわずらっていた毛沢東は、担架にのって城内へ運ばれてきた。彼は、病床からあらゆる政治工作、人民の諸組織の復活や上杭ソビエトの組織などを指図した。遠近の村々から農民たちがどっと城内にくりこんできて、この勝利を祝い、土地の分配に加わり、憎悪してきた地主どもの裁判に参加した。朱将軍は口もとをゆがめながら、これらの裁判を回想した。年老いた両親、寡婦、父や兄弟たちが地主の前に歩みよって、こう叫んだ――「おれの息子はどこだ、おれの兄弟はどこだ、おれの親父はどこだ」ひとことの答えもないので、農民たちは平手で地主どもを殴りだした。秩序を維持するためにひかえていた赤衛隊も、捕虜を保護せよという指揮官の命令に服従することを拒否したほどであった。