Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

東江地方へ突入するが敗北 『偉大なる道』第7巻②ー5

 上杭にはいってからわずか数日後、朱徳は、ふたたび行軍を開始し、福建南部一帯の敵軍を掃討した。10月の末になって、朱徳と彼の部隊はついに福建南部に隣接する広東省東江地方へ突入した。この地方は、かつて2年前、有名な「鉄軍」が撃破されたところだった。今回も、朱徳はふたたび第十九路軍に敗北を喫した。第十九路軍は、十分に装備した三個師団全部でおそいかかってきたからだった。朱徳は数百人の部下をうしなった。しかし、彼にとっての最大の損失のひとつは、もっともかがやかしい、高い教育をうけた、紅軍司令官のひとりである連隊司令リュウ・アン・クンの戦死だった。朱将軍の胸は、革命のあらゆる戦闘と、彼の指揮下に戦死したすべての人びとの名前をきざみこんだ目録のようなものだ。

 

 東江地方のゲリラ部隊を増援するために、二個中隊の義勇兵を残したうえで、11月の末、朱徳はふたたび北方へ撤退し、省境の山岳地帯をこえて、江西省へはいった。この行軍のあいだじゅう、朱将軍は悲嘆にくれていた。

 

 「国民党ならば、何千人の兵士をうしなおうが、そんなことはなんでもない」と彼は悲しそうにかたった。「しかし、紅軍の兵士は、軍閥の野心にみちた勝負につかわれる将棋の駒ではない。われわれは、たとえ戦闘にまけた場合でも、生きのこったひとりひとりの兵士が新しい軍隊をきずきあげ、革命をつづけることができるように、ひとりひとりの紅軍の兵士を教育してきた。ひとりひとりが、革命の貴重な財産だったからだ」

 

 朱徳はもちろん、中国にいだく彼の希望が実現されるまでには、数多くの敗北や、部分的な敗北を喫することもあるだろうし、何千人という人間が死んでゆくだろうということも十分承知していた。しかし、朱徳は、彼の指揮下におこった、ひとつひとつの敗北、ひとりひとりの死にたいして、はげしい悲嘆を感じた。彼は、部隊があらたに鹵獲(ろかく)した、数百の武器や弾薬その他の補給物資をもっているという事実で、みずからなぐさめようとつとめたが、それはできないことだった。朱徳の憂うつがいくらか晴れたのは、広東―江西省境にそった山地で、一隊の農民パルチザンに出あったときだけだった。