Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

中国史上最大の学習運動のはじまり 『偉大なる道』第7巻②ー11

 こうして、朱徳のいう「中国史上最大の学習運動」がはじまった。この運動は、壁やがけや木の幹にまで書きこまれた、つぎのようなスローガンにあらわれている。学べ、学べ、それから、学べ! ……陽が沈むまで学習せよ! ……雪明かりで学習せよ!

 

 「抑圧され、いためつけられた」人たちが、生まれてはじめての知識欲でがつがつと学んでいる姿は、朱将軍の胸を誇りでいっぱいにしたが、同時に、憂うつにもさせた。その当時は、紅軍は、ほとんど何から何までしなければいけなかった、と朱将軍は回想する。知識を教えることができる紅軍の兵士たちはだれでも、彼がもっているあらゆる余暇を提供して、彼が知っている常識や政治知識を農民に教えた。教師の数は非常にすくなかったし、遠くはなれて、ところどころにしかいなかったので、どこかの寺で子どもたちの学校をひらくとふれておいて、臨時の小学校の先生たちが約束の時間にきてみると、おじいさんから、胸に赤ん坊をだいた母親たちにいたるまで、ほとんど村じゅうのものが子どもたちといっしょに学校のベンチにぎっしりとならび、お寺の庭にまであふれているありさまであった。これらの先生たちは、できるかぎりの最善をつくしたので、まもなく、もっとも進歩した子どもたちをえらんで、「小先生」にしたて、ほかのものに教えることができるようになった。

 

 婦人に対する工作は、それまでは、きわめて貧弱だったが、各地方ソビエトに設立された「婦人青年事務部」の指導のもとに急速に進歩した。婦人たちは、男女の平等についてもっとも戦闘的な主唱者になり、はっきりと協力しない男たちに対しては、これに対抗する独特の方法をつかった。

 

 最大の問題は、経済問題だ。というのは、江西はもともと貧しい省であるうえに、ソビエト区と国民党の支配する地方との交易はきわめて弱く、散発的にしかおこなわれていなかったからだ。ほかの多くの品物もそうだが、とくに塩は品数がすくなく高価だった。