Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

李立三路線への疑念と妥協 『偉大なる道』第7巻③ー2

 これらの計画や指令をふりかえってみて、朱将軍はこう言明した。――李立三と彼の支持者たちは、中国の土地革命を、いいかえれば、大衆がそれを通じて自己の力を行使する人民代表会議、すなわちソビエトの問題をほとんど信頼もしなかったし、理解もしなかった。彼らはまた、中国の軍事情勢と政治情勢の事実にもとづいた、毛沢東の指導方針も信用しなかった。李立三は、「そんな戦術では、革命が勝利する前に、われわれはみな、白髪の老人になってしまうだろう」といったとのことである。

 

 この新しい指令にしたがって、4方面の主要な紅軍が軍団に再編成された。――第一軍団は、元どおり朱徳が総司令となり、毛沢東が政治委員、すなわち党代表にとどまった。湖南省西部と湖北省にまたがる賀竜軍は、第二軍団になった。江西省北西部の彭徳懐軍は、第三軍団になった。中国の中央部、揚子江北側の山岳地帯にいるゲリラ部隊は第四軍団に編成された。この軍団は徐向前が軍司令官となり、張国燾が政治委員になった。

 

 朱徳毛沢東は、この新しい革命戦略全体の基礎となっている理論について疑念をもっていたが、とくに軍隊の再編成計画の一部にたいしては断固として反対した。指令に書かれている内容によると、すべての武器は紅軍の手中に集めなければならなかった。このことは、農民パルチザンが、紅軍正規軍の一部となり、工業都市を攻撃する作戦で紅軍とともにソビエト地区をはなれなければならないことを意味する。朱徳毛沢東もふたりともこの案を拒否した。その理由は、朱将軍の説明によれば、もしこの案を実行すれば、ソビエト区には武装した防衛兵力がまったくいなくなり、全地域は敵軍に占領され、その結果、紅軍は革命の基地をうばわれることになるからである。しかし、「われわれは、理論的にだけこの案を承認した」と彼はいった。彼らは、農民パルチザンを3つの小さな軍に編成し、第一軍団の指揮下においたが、それぞれの郷土を守るために現在地にとどまるよう、命令したというわけであった。