Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

大都市にしかれた戒厳令 『偉大なる道』第7巻③ー5

 「文学的に見れば」と、筆者は朱徳の話に引きずりこまれて、われを忘れて口をはさんだ。「すばらしい、劇的な戦略です。――抑圧されている都市の人民を解放するために、大軍が進撃する……一世紀にわたる従属の鎖をたち切るために、大衆が立ちあがる……一つの民族が、九天の高きにたちのぼろうとしている!」すると朱徳将軍は目を細めたが、表情はかなり謎めいたものになった。

 

 「まったく、この作戦は芝居だった!」みじかくちらっと笑って答えた。「しかし、これは文章を書く練習ではなかった。第一、わが軍は大軍ではなかった――それどころか、数は少なく、装備はきわめて貧弱なものだけだった。これに反して、軍閥の軍隊は兵力も大きく、大砲をもっており、国の資源も注ぎこむことができた。その上帝国主義諸国の軍艦が、沿岸水域はもちろん、揚子江の奥ふかく侵入して哨戒していて、大都市、武漢の真ん前にもいかりをおろしていた。われわれの戦略は純然たる冒険主義だった。つまり、中国が解放されるまえに、まず直面し解決しなければならない大きな困難を飛びこえてゆこうとしたということになる。

 

 「毛沢東と私は、このことをよく知っていた。しかし、この計画を阻止するだけの十分な情報をもっていなかった。しかも、こういう疑念をいだいていたのは、実際、われわれふたりだけだった」

 

 多数の政治工作員が、部隊に先行してすすみ、農民にたちあがるように呼びかけた。紅軍が江西省を縦断して進撃するにつれて、敵軍はかくれたり、ばらばらに逃げさったり、南昌へ退却したりした。

 

 「進軍の途上で、数万の農民をわが軍にあつめた」朱将軍の言葉を正確につたえると、こうである。「われわれは、農民をその場ですぐ武装させ、各戦闘部隊に配属し、行軍の途中で訓練した。あらゆる大都市には戒厳令がしかれ、その路上には労働者やインテリの首がごろごろところがっていた。ゼネストの準備は進行していたが、労働者の指導者たちはすでに殺されていた。われわれが彼らを解放しないかぎり、労働者はなにもできなかった」