Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

中国の農民と工業労働者の違い 『偉大なる道』第7巻③ー11

 肉食獣のような支配階級は、むかしながらの特権的地位をとりかえそうとたたかっていたが、彼らの邪悪な権謀術数にたいしては、ねばり強い長期的な闘いが必要であった。朱将軍が、この闘争について話してくれた1937年のはじめのこと、筆者は、ある大昼食会で、彼と「反革命対策委員会」の主任をよくよく見くらべてみたことがあった。当時の、この委員会の主任は11歳から鉱夫になった人で、中国のもっとも初期からの労働運動組織者のひとりであった。

 

 朱徳とこの鉱夫をよく見比べてみると、中国の農民と中国の工業労働者のちがいがよくわかった。朱将軍は、人だかりの中でも猫のように平静でのんびりしていた。農民たちがキャベツを売ったり、心ゆくまでおしゃべりしたりして集ってくる市場などならば、いつもその中にまぎれてとけこんでしまえる。彼は、平凡な容貌から動作にいたるまでどこまでも農民である。

 

 これに反して、反革命対策委員会の主任の方は、どんな農民の集まりであろうと、そのなかにとけこんでしまうということはできない。彼には、休息もなければ、息抜きもなく、融通性というものがまったくない。言葉も動作もきびきびと鋭敏で、よく統御された精力の化身のようである。これは、西欧諸国の工業労働者が大闘争にたちあがっているときに、しばしば示す特徴でもある。

 

 朱徳毛沢東はじめ、紅軍と共産党その他の指導者たちが、敵の秘密組織の手で暗殺されることがまぬがれたのは、うたがいもなく、この主任と同じような人たちのおかげでもあった。1949年1月、人民革命軍が北京に入城し、国民党の秘密警察、藍衣社の全メンバーに対して、ただちに武器を捨てて降伏し、北京警察署に登録せよ、そうしなければ、徹底的に掃滅する、という命令を公布したとき、筆者はふたたびこの主任のことを思い出した。

 

 この命令にしたがって、北京郊外にある清華大学の人あたりのよい、ある教授が、警察本部に出頭し、自分は藍衣社の「大尉」で、とくに学生、教授、知識階級のあいだに恐怖心をばらまいてきた、と登録した。彼は正式に登録され、従来通り清華大学で講義を続けるように申しわたされた。だが、警察の新しい長官は彼にむかっておだやかに知らせた。

 

 「あなたは、自分の登録内容でちょっとした間ちがいをおかしている。あなたは、藍衣社では大尉ではない……あなたは中佐だった!」