Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

1930年、蒋介石による紅匪討伐計画 『偉大なる道』第8巻①ー1

 その1930年の10月末、いよいよアカを絶滅するという壮挙がおこなわれることになり、上海そのほかの中国の大都市では、沸きかえるさわぎだった。北方の敵を征服して帰ってきた蒋介石は、時の英雄だった。いまや彼は、自分の10万の精鋭を江西の「紅匪」に向けてきた。

 

 共産主義は、中国において、帝国主義や封建主義とはどうしても妥協しない唯一の勢力で、党員は主義のために喜んで死ぬということを実証した唯一の組織であった。こういう人間どもは危険だったが、弱かったので、手遅れにならないうちに攻撃を加えたら、たたきつぶすことができる。今こそ、その時であり、結果は明らかだ。いったい、江西の「アカ」とは何ものかといえば、百姓と労働者、つまり人間のクズの集まりでしかないではないか。全世界で知られているように、中国の百姓とは、誰が天下を支配しようとかまわず、ただ自分の少しばかりの土地を耕せてもらえればいい、という人間ではないか。

 

 国民党の機関紙と外国の協力紙は、鳴り物入りでさわいだ。機関紙は、誇らかに、紅匪討伐に向かう軍の計画の詳細、さらにその行進路まで発表した。だが、紅軍からは、とくに、国民党軍にやぶられて吉安から敗走したという朱毛軍の方からは、何の気勢もあがらなかった。紅軍はいまや、「敗残の匪賊」でしかなく、まもなく、これを完全に包囲し絶滅することができるだろう。

 

 ところで、その江西では、朱徳毛沢東と同志たちは、じつに丹念に国民党新聞を研究し、そして朱将軍は、国民党新聞がいばって書いている戦争記事にいちいちしるしをつけ傍線を引いた。紅軍はラジオをまだもっていなかったが、通信機関と情報網はかなり進歩していて、国民党新聞の軍事報道は紅軍の通信情報とほとんど合っていた。まだ上海からの報道は来ていなかったが、朱徳毛沢東はすでに使者を上海に送り、共産党中央委員会の李立三理論への反対を表明していた。結果がどうであれ、ふたりはこれが正しいと信じていた。