Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

張将軍との決戦決意 『偉大なる道』第8巻①ー4

 朱将軍がいうには――いかに包みかくそうとも、紅軍は、国民党軍がこの反乱者にたいして何の行動にも出なかった、という明らかな事実を見抜いた。しまいには、東固の農民たちは、事実を知って、逃亡して元の部隊に帰ってきたのだが、そこでは彼らは、迎え入れられ、再編成され、再教育された。

 

 しかしこの反乱のおかげで、国民党第十九路軍は興国を占領し、張輝サン将軍の二十八師団は東固を占領した。東固ではパルチザンと人民が敵とたたかったが、村々は破壊され、何百の人民が殺された。最後に、彼らは東に逃げて、紅軍の本隊に合流した。

 

 これが、朱徳毛沢東や幕僚が張輝サン将軍の第十八師団に決戦をいどんで、本隊を粉砕しようと決意したときの、周囲の情勢だった。

 

 朱将軍は、この戦闘がおこなわれた戦場の略図をえがいていくれた。そして、敵の司令部と部隊の配置、味方の司令部、戦闘部隊、予備隊、野戦病院、敵の捕虜収容施設なども示した。また彼は、人民武装隊が配置された地点も示したが、彼らは、紅軍の補助部隊として、敵の小部隊や輸送隊を攻撃し、また一方では、紅軍のために輸送したり、戦場の負傷者を運搬したりした。

 

 朱徳毛沢東の司令部は、張輝サン将軍が司令部を置いた竜岡から、ほんの4マイルほどはなれた山村にあった。張将軍の第二十八師団は、彼らの頭のすぐうえの東の方の東固の山を占め、第五十師団は北西のニントウにあった。彭徳懐の紅軍第三軍団は、敵を牽制するため、竜岡と敵の第二十八師団と第五十師団とのあいだに展開していた。南と西南に向かって一日だけ強行軍をすれば、国民党十九路軍のところに着くだろう。