Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

敵の攻撃の前に吉安地方へ強行軍 『偉大なる道』第8巻③ー2

 敵の攻撃が開始される――朱徳はその正確な日時を知っていた――その前の三日間の夜のあいだ、紅軍の本隊は、吉安地方の敵の背面にむかって強行軍をおこなった。敵の爆撃をさけて、夜だけ行進し、月のある夜にたたかった。暗い夜には、夜明けに攻撃した。

 

 戦闘は17日の夜に始まることになっていたが、一発の砲声も朱徳毛沢東の耳に入ってこなかった。さらに2日がすぎても、何らの報告もなく、戦闘の音も聞こえなかった。黄公略の紅軍第三軍は、東固と吉安のあいだの前線を保持すること、一方報徳懐と、とくに林彪の部隊は敵の背後を攻撃することが命令されていたが、黄からも何らの報がなく、谷間には何の響きもきこえなかった。

 

 その沈黙は、あまりにも不気味だったので、朱徳は、彼の参謀長と、二個中隊の護衛をひきいて、調査のために山をおりて西にむかった。ほとんど山麓におりてきて、2つの峰のあいだの狭い谷に入ったとき、だしぬけに、山上に向かって進撃しつつある第二十八師団の先鋒部隊と、鉢合わせをしてしまった。

 

 「やっとのことで山腹の森林に入って散って、交戦しながら退くことができた」と朱将軍はいった。「だが、敵が慎重にうごいているところを見ると、こちらの戦力を知りかねている、ということは明白だった。3時間後に、われわれが東固高原の近くまで引き、毛が、司令部と病院と民衆の撤退準備をしつつあったときに、敵が兵を退けはじめたのをしった。遠くからの銃砲声がひびく……紅軍第三軍が第二十八師団の背後を衝いていたのだ。そして、夜までには、その師団の大部分を武装解除した。公秉藩将軍もその捕虜の中にいたが、彼は第一次作戦である教訓を学びとっていたので、階級章もつかぬ兵隊服をきて、兵の中にまじっていた。われわれが捕虜の兵のひとりずつに3元をやって故郷に帰れと告げたときに、公将軍も列をつくってその3元をもらったが、……一生のうち、こんなはした金をもらったことはなかっただろう。彼は、われわれを手玉に取ったが、われわれの方では、彼の銃砲と軍需品を取り、例の無電学校の生徒たちは、咽喉を鳴らしながら『手つかず』の彼の新無電機と技手を受け取った」