Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

水南の城壁へ進撃 『偉大なる道』第8巻③ー3

 さらにその夜に、報徳懐からの報告を持った伝令が到着した。これは第二番目の伝令だった。最初の伝令は捕えられ、殺された。さて、彭の紅軍第三軍団は、二日二晩、敵軍第四十三師団――北方からきた軍――の前面と背面の両方に猛攻を加えて、山上の堡砦(ほうさい)をうばって、谷間に追い落とし、そこで半数を武装解除した、のこりは、水南にいる友軍第四十七師団のところに逃げた。

 

 全西方戦線は今や紅軍の掌中にあった。しかも朱将軍が2つの戦闘を回想するときの声は、機嫌が悪そうにひびいた。どうしてかといえば、収穫は、小銃7千、その他、機関銃、臼砲、それに医療品と多量の糧食、弾薬、かなりの額の金でしかなかった。この貧弱な収穫は、彼の説明によれば、第二十八師団と四十三師団は、第一次掃共戦で壊滅された第十八師団の半分の大きさでしかなかったからである。

 

 朱徳毛沢東は、解放された地区には、パルチザンといくつかの中隊の正規軍を展開させ、司令部は無電学校とともに、主力と合流したが、その主力は、紅軍史上もっとも劇的な攻撃に出るために動き出していた。

 

 その軍が、第四十三師団の残存部隊が第四十七師団と合流して立てこもる水南の城壁にむかって進撃したとき、婦女子もふくめた数千の農民が、かごをかつぎ棍棒をかざして、部隊のまわりに渦巻きうごいた。北方軍の一連隊が武装解除され、残りのものは、軍需品の大集積を置いたまま、東方に滑走した。紅軍は、「おれたちの補給部隊」といいながら大笑いした。

 

 朱徳がその軍需品をいそいで点検したとき、数千の農民はすでにそれを始末しているところだったが、朱が「借りた米は、日を決めてちゃんと返す、とわしはいっただろ」というと、どっと笑った。