Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

敵兵に洪水のように押してゆく部隊 『偉大なる道』第8巻③ー4

 朱徳の声は、農民たちのすばやくて徹底的な仕事ぶりを思い出したとき、畏怖のひびきに似たものをつたえた。アリのように群がって、かごや、水牛が引くガタガタ車をいっぱいにみたし、女や子どもは、丹念に、米の最後の一粒までも手ですくい取った。年寄りと女子どもは、きちんと列を作ってソビエト地区に引き上げたが、若い男たちは、大隊ぐらいの隊をいくつか組んで、紅軍のために、米と弾薬を運びながら、いっしょに東進し、軍隊のようにおりからの春の豪雨も少しも気にしなかった。

 

 その作戦についてかたるとき、朱将軍は、もう一度その中に身をおいているかのように見えた。「われわれの攻撃は、しだいに東に押しすすんでゆき、15日間、軍は戦っては眠り、眠っては戦うことをつづけた。戦闘した部隊が地面にどっとたおれて眠ると、その後をうけて、ほかの部隊が目をさまして起きあがって、快速で行進して敵の背後を撃った。水南から2日後、白沙では、第四十七師団と第四十三師団の残存部隊を武装解除した。北方からの大男たちは、首をふりながら、山の中や雨の中で戦争をするのは苦手だと愚痴をいった。彼らは、農民パルチザンや紅軍部隊によって、捕虜収容所に連れてゆかれ、負傷者たちは後方の病院に護送された。

 

 「私は、長時間眠らなくてもいい人間だ。だが、それからの2週間というものは、ほとんど眠ったというおぼえがない。われわれは、敵に、二度と忘れられないほどの懲らしめをしてやろうと決心していた。各部隊は洪水のように押してゆき、戦いながらスローガンを叫び、また歌い、死にものぐるいで1インチ1インチと戦っていったので、敵はその前に崩れるばかりだった。雨は振りつづけて、敵の爆撃機は役に立たなかった。われわれは、敵兵を水びたしの米田に追いこみ、それから、その泥まみれになったやつを引きずり出した。彼らは、完全な国民党軍軍服をきて脚絆をまき、短靴またはわらじをはいていたが、わが軍の方は、薄手のシャツとかんたんな上衣だけで、裸足だった。私はわらじをはいていたような気がするが、よくおぼえていない。そうだ、毛と私は兵士と同じ服装をしていた。それとおぼえているが、敵兵の重たい袋を取ってみると、村々での掠奪品がぎっしり入っていた。

 

 「敵が楔を打ち込んできたソビエト地区の内部の村々に行ってみると、家は焼け落ち、非戦闘員の住民たちの死体は、射殺され、切りたおされ、首を切られたところにそのままころがっていた。幼児もあれば老人の死体もあった。女たちは、殺された前後に暴行されて、地面に横たわっていた。この現場を見たのちには、重傷者以外の兵は、どうしても戦線に帰るといい出し、われわれの戦列には、昼となく夜となく、はげしい歌声がひびいた。

 

 弾丸の雨が何だ

 銃剣の林が何だ!

 進め! 殺せ!

 片足ひきずる何応欽を生けどれ!